これまで4回にわたって、シンガーの著書を中心に効果的利他主義について検討をしてきました。今回はそれらを簡単に整理し、全体にわたる私の批判の総括をしながら、この連載のまとめにしようと思います。
また、これまで頂いたブックマークコメントのうち、特に私の考えに批判的と思われるものを取り上げさせて頂き、私の考えを補足させて頂こうと思います。
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尚、連載全体にわたって取り上げた効果的利他主義の考え方は、ピーター・シンガーの『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』に書かれているものがもとになっています。
あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ
効果的利他主義批判3つの柱
私はこれまで次の3つの柱で効果的利他主義への批判を書いてきました。
効果的利他主義が現状の社会構造を批判せず、徹底して肯定する論理を展開していること。
対応記事:【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その3 ‐ 圧倒的な現状肯定の思想 - 45 For Trash効果的利他主義が根拠のない「理性」を至上価値とすることで恣意に陥っていること。
対応記事:【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その4 ‐ 理性至上主義の矛盾・限界と共感の肉体的基礎 - 45 For Trash効果的利他主義が倫理的正しさを主張できるような一貫性を持っていないこと。
対応記事:【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その2 ‐ 単なるライフハック - 45 For Trash
それぞれについてまとめのコメントを書きます。ただ、詳しくは各記事をお読み頂ければと思います。
徹底した現状肯定の思想であること
効果的利他主義はもともと慈善活動に充てうるリソースの配分を問題にしているため、そのリソースの集め方、つまり稼ぎ方について、倫理的な検討を十分に加えていないように思います。しかし、倫理的な態度を矛盾なく説明するためには避けて通れない点であるため、シンガーも著書の中で章を設けて(第4章 お金を稼いで世界を変える)主張を展開しています。
シンガーは、稼ぐことによって生じる悪よりも与えることによって生じる善の方が大きければ倫理的に何の問題もない、と言っています。また、資本主義は格差を拡大しているかも知れないが、新たな貧困を生み出したり貧困をひどくさせたりはしていない、と明言しています。さらに、資本主義はビル・ゲイツのような超大富豪の効果的利他主義者を生み出すことで貧困を救済してきたのだとも言っています。
資本主義をどう評価するかについては、様々な意見があるでしょう。しかし、シンガーは言います。資本主義には何の問題もなく、むしろ一部の素晴らしい超大富豪によって世界を変えうる素晴らしいシステムだと。
私にはこれがあまりにも乱暴に思えてなりません。確かに資本主義は我々人類が幾多の歴史を経て到達した現時点での優れたシステムでしょう。かつてない豊かさを我々が享受できているのは資本主義のおかげです。しかし人類が社会の構造を大きく変革しながら進歩を続けてきたこともまた事実です。それが資本主義に代わるシステムなのか、資本主義の修正版の更新なのかは別として、それを行いうるのは現状への批判です。
先進国内部で格差が拡大していることひとつを取ってみても、それは取るに足りない問題ではないはずです。そしてこれが資本主義、いやもっと単純に言えば、我々が今使っているルールに問題があるのではないか、という問題意識を避けて通ることはできないはずです。それを問題にする人々は、世界各国にたくさんいます。しかし、効果的利他主義はこれらの問題に冷淡です。
自分たちが富を集め得ているルールを変えることはできない、ということなのでしょうか。私にそう言い得る根拠はありません。
しかし、自分たちの活動が生み出す悪には無頓着のまま、善だけをさらっていこうとする効果的利他主義の思想は、富豪たち*1の善意に問題解決を委ね、問題を抱えた社会システムを単に追認するだけの、虚しく無責任な考えに思えます。
根拠のない「理性」による恣意
効果的利他主義は、「理性」に基づいて生命や人の苦しみを数値化して比較します。それはそもそも、リソース配分にあたっての効率性を判断する基準のためでしょう。
しかし、数値化された生命や人の人生の比較には葛藤があります。自分が親しみを感じられる人々と遠く感じられる人々。助けるのに多額の費用がかかる人と少額で助けられる人々。病気を抱えて生きる人生と健康な人生。障害とともに生きる人と健常な人。通常の知性を持った人と重度の知的障害者。
しかし、シンガーにおいてはこの比較に迷いも葛藤もありません。例えば、同じコミュニティーに属する人や自国民であることと遠くの国の人々に違いはありません。また、一人を助けるのに多額の費用がかかるなら少額で助けられる人にまわすのは当たり前となります。病気や障害のある人生は健康な人生よりも価値が低く、重度の知的障害のある人の価値は低く換算されます。
このような態度に私はどうしても賛同できませんが、これらは全てシンガーの言う「理性」が命じる結果です。そして、シンガーの「理性」は「宇宙の視点」から見て「全ての生命は平等の価値を持つ」という命題を基礎にしています。しかし、この命題の正しさをシンガーは証明しません。さらに、自分の子供をはじめとする「愛」を感じる人々を特別扱いすることも否定はしません。
数値化による「理性」的な比較は、一見、人間の曖昧な情緒的感情を排除した公平なものに見えます。しかし、例えば目の見えない人の人生は目が見える人の人生よりも2割価値が劣る、などという考えは、シンガーの歪んだ情緒に過ぎません。
私には、シンガーの言う「理性」が何も説明しないだけでなく、それを使う者の恣意をいとも簡単に正当化する道具にしか見えないのです。
倫理的正しさを主張できる一貫性はない
シンガーは我々全員に呼びかけます。効果的利他主義者たれと。その倫理的正しさを主張し、一方で私たちの日常における倫理的態度を批判します。
例えば、先進国の貧困層を支援すること、家族を失わせた病気の対策研究に寄付をすること、芸術家を支援すること、などです。
しかし、上に見てきたように、シンガーの主張が正しいと言えるような厳密な論理性や一貫性は見出せませんでした。
もちろん、ある人々がある考えに基づいて、何かいいことをしよう、とすることを批判する必要はありません。シンガーたちがアメリカの貧困層よりもアフリカの子供のワクチンを優先することをどうこう言うことはないでしょう。しかしそれはお互い様です。
シンガーの著作を読んで、私には効果的利他主義が一つの一貫した倫理的姿勢を説いているのではなく、「この方が楽しい」「この方が気持ちいい」「この方が達成感がある」という程度のことを言っているに過ぎないとしか思えませんでした。それならそれで価値はあるかも知れませんし、とやかく言うこともありません。
ただ、シンガーがこの主張についての倫理的正しさを主張し、他の人々の倫理的行為を一方的に低く、あるいは誤ったものとして評価する態度には異議があります。
「勝手にやってくれ。ただそんないい加減なものを押し付けないでくれ。」というのが率直な感想です。
余談ですが、効果的利他主義は、アメリカで急激に広まってきた考え方です。シンガーの呼びかけは大きな効果を得て、ひとつのムーブメントと呼ぶべきものにまでなっているようです。ひとつの参考としてグーグルトレンドでキーワード "effective altruism" の動向を見てみると下のような結果でした。
これがこれ以上の拡がりを見せるかどうかはわかりませんが、このような動向に伴い日本にも紹介されるようになってきたわけです。ちなみに日本でのキーワード "効果的利他主義" の検索ボリュームはまだ非常に少ないようです。
効果的利他主義は普遍の真理ではない
それぞれにとってのお金の効用でしかない
例えば、上の批判に見たように「与えるために稼ぐとき、稼ぐプロセスでの倫理性は問われないのか」とか、「理性と共感のどちらが倫理的行為に決定的な役割を果たすのか」などと言った議論をしつつも、それが何とも不毛な気がしてきてしまいました。それは、あまりにも乱暴な言い方だとは思いますが、シンガーや効果的利他主義者を自認する人々*2が、単に「自分のやりたいこと」をやっているだけであって、「主義」は単にそれを追認・肯定し自らを賞賛するためにあるのではないかと感じるようになったためだと思います。
慈善活動にお金を投じることと、自分の好きなものを買う行為の違いは何でしょうか。なぜ慈善活動だけが、お金を使うという行為の中で特別視され論じられているのでしょうか。
シンガーの著作を読むにつれ、私には、自分に効用をもたらすものにお金を使うという点では何の違いも無いのではないかと思えてきました。
効果的利他主義者が自分たちの家や車、レストランでの食事にお金を使うことと、それ以外の人が身近な顔の見えるボランティアにお金を使うことにはどんな違いがあるというのでしょうか。どちらが効用が高いのかについて論じるのが効果的利他主義なのでしょうか。
ただ、効果的利他主義を掲げる人たちに多い富裕層には、普通の人間とは比較にならない大きな富があります。彼らは身近なボランティアなど瞬時に買ってしまえるだけのお金がある人もいます。そのために、そんなものに効用を感じなくなっているのではないかとも思えてきます。彼らにとって、愛着や共感を感じるのは、一部の身近な人間に過ぎないとすれば(実際シンガーは一部の人間への愛や共感に基づく行動を認めると同時に、それ以外に対しては理性で行動すべきと言っています)、同じ国の国民も遠い国の見知らぬ人々も、何の違いもないチャレンジすべき数値的な人間の頭数に過ぎないものとして扱われているのではないかと思えてきます。よりチャレンジングな目標を選ぶ方がゲームとして楽しいと言っているだけではないかと(もちろん、これははしたない推測に過ぎないのですが)。
しかし、本当になけなしのお金しかない人間にしてみれば、同じ国の中で苦しむ他の国民は、もしかしたら自分であったかもしれない、自分を投影できる対象です。まさに身近に感じる人間かも知れませんし、まるで家族のように感じる相手かも知れません。有り余るお金で家族を満足させている人間とは違い、なけなしのお金で家族を養いつつも、その中から絞り出したお金を同胞に使うことは、ゲームとは違いより切実なお金の使い方です。これを倫理的に価値のない行為として低く見られるいわれがあるとは思えません。
思うに、効果的利他主義者にとっての貧困対策は、安全な場所で高みから行う施しのようなものかも知れませんが、なけなしのお金をそれに使う人々にとっては、生々しく自分たち自身を救うための活動なのではないでしょうか。
効果的利他主義者の真似をする必要はない
現在の制度やモラルの限界からすれば、お金持ちが自分の金で何をしようが文句を言われる筋合いはありません。また、そのお金で現実に世界の誰かが救われるのであれば賞賛もします。
しかし一方で、我々がなけなしのお金で行いたいことを行うこと(同胞を救うことで自分自身を救おうとすること)を、倫理的上位者の顔で責められる筋合いもない言われもないのではないでしょうか。
それなのにシンガーは命じます。私たち効果的利他主義者の真似をしなさいと。
シンガーは言います。施しが出来なくなるから私達は裕福であることをやめるべきではないと。自分や家族を永遠に貧困とは無縁な場所におき、あるいは貧困を再生産させながら、一方で貧困に苦しむ自国の人々に対して「あなたたちの貧困はまだ助けるに値しない」と冷酷に断じ、それだけでなく、場合によっては彼らに自分たちと同じ行為をしろと命じるのです。
考えてみてください。
奴隷制度がありそれが当たり前であった時代、多くの奴隷には住む場所も食べるものもありました。経済外的強制にさらされながらも、生かされて働かされていました。
一方で、その時代にも、世界には明日死ぬかも知れないような過酷で劣悪な環境でかろうじて生きている人もいたでしょう。
奴隷の主人であるあなたは、奴隷を利用することで富を蓄積しています。ただ、高い倫理観に基づいてこの遠い国の死にそうな人々のために富の一部を寄付し、倫理観を満足させています。
あなたは、自分が奴隷の存在による恩恵を受けていることを当たり前のことだと信じて疑いません。当然、奴隷を開放するための活動への援助もしません。
なぜなら、あなたは効果的利他主義者だからです。奴隷は不幸かも知れませんが、遠くの死にそうな誰かほど不幸ではなく、奴隷を10人自由にするのと同じお金で、遠くの100人を救うことができるからです。
また、そのお金を余裕を持って支出するためには、奴隷制度は不可欠だからです。
そしてあなたは言うでしょう。
「奴隷たちよ。私たちよりもうんと少なくても構わない。お前たちもあの遠い国の人々に寄付をしなさい。それはとてもいいことだし、お前たち自身を幸せにもしてくれるだろう。」
私はこの奴隷の主人に言うでしょう。
「あなたが奴隷制度に加担していることも、奴隷制度から利益を得ているころも、とやかく言うのは止めておきましょう。今はそういう世の中ですから。
またあなたが、私たち奴隷はあなたたちが救うほど不幸ではないと断じる一方で、遠い他国の見知らぬ誰かの不幸を救うことに熱を上げて自慢げにしていることも、私たちが何か言うようなことではないでしょう。
ただ、あなたが、そのあなたの態度を人類普遍の真理であるように言うことを、私は認めることはできません。
あなたが、私たちから十分に奪っておきながら、私たちにこれ以上何かを吐き出せと言い、さもなくば私たちは倫理的に貶めるというなら、私はあなたと闘わねばなりません。
あなたは勝手に好きなようにやり私たちのことは放っておきなさい。さもなくば闘いです。」
これまでのブックマークコメントについて
これまでの連載で様々なブックマークコメントを頂きました。十分に自信があるわけではなく、無責任ながら一つの試論として記事を書いている私としては、色々と考えさせられるありがたいものです。ありがとうございます。
そのうち、特に異なる視点からのコメントや批判的コメントは、かえって自分の考えを振り返るヒントを与えてくれるものです。連載の最後にこれらのコメントに対する私の考えを述べさせて頂こうと思います。
【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その2 ‐ 単なるライフハック - 45 For Trashb.hatena.ne.jp哲学(功利主義)的理由で動物解放論を唱えて自らも菜食主義やってるシンガー先生に向かって一貫性がないと言われましても
2016/04/01 14:33
コメントの指摘通り、シンガーは動物の苦痛を減らす活動に熱心であり、ベジタリアンでもあります。また、効果的利他主義に基づく慈善活動への寄付も実践しています。
哲学者が、その唱える哲学に反する生活を行っている、ということは良くあることである中、シンガーが自分の哲学と生活を一致させようとしている姿勢そのものについて、敬意を払っても良いとは思います。
ただ、私が採食主義者でないのは、そうするのが難しいからではありません。また、シンガーの考えのように、動物の苦痛よりも重度の知的障害者の苦痛の方が小さいとも考えません。さらに、自国の同胞の苦痛よりも遠い他国の貧困が必ず優先的に救うべきだとも思えません。
シンガーが自分の思想に忠実で、生活を一貫させていることと、彼の思想そのものが一貫性を持ち正しいことであるかどうかは全く関係ありません。
人を殺すことを是として主張している人が、その主張通り人を殺し続けたとしても、その人を賞賛できないことと同じことです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283836570/comment/nekorab.hatena.ne.jp
難しい指摘です。私は記事の中で簡単に「資本主義の矛盾」と書きましたが、確かにそれは資本主義自体の矛盾ではなく、資本主義の「実装が不完全」であるのかも知れません。また、資本主義自体の矛盾と考える立場は、現時点では極めて少数派であろうと思います。
私はここで、古典的なマルクス主義の言うような、生産手段所有の私的性格と生産の社会的性格との矛盾、といった捉え方が現代でも有効かどうかについて論じる余力も、いや能力もありません。資本主義が他の社会システムにとって代わられるべきものかどうか、断言することも出来ません(私自身が資本主義システム自体について疑問を持っていることは認めます)。
ただ、この記事で私が言いたかったのは、資本主義が未来永劫続くとしても、資本主義が他のシステムに変わるとしても、現在ある資本主義が完璧なものではなく、その不完全さが極端な富の集中と貧困の再生産を引き起こしていることに無関心であって良い訳はない、ということです。
【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その3 ‐ 圧倒的な現状肯定の思想 - 45 For Trashb.hatena.ne.jp現状肯定の思想を否定しているけれど、どっちかって言うと逆で「現状否定をするだけでちっとも現実をよく出来ない理想主義」を否定するから「現状は肯定したうえで寄付する」にたどり着いたんだよ。
2016/04/01 22:03
このコメントの言っていることは良くわかります。効果的利他主義が注目を浴びた理由の一つでもあろうかと思います。
効果的利他主義が最も力を発揮する場面は、慈善活動へのリソース分配を、いわば経営指標をチェックしながら行うように、いかに効率的に行うか、という場面です。今ここにあるリソースをどう使うのか、という極めて実践的な考え方であり、一定の有効性を持っていることは否定できません。だからこそ賞賛されるということでもあるでしょう。
もちろん、効率性の判定の基準設定自体に私は異論を持っているのですが、それでもこのような考え方自体は十分に評価に値するものだとも思っています。現状をただ批判するのではなく、今実現可能なことについて最大限の効果を得ようとする姿勢は、今現実にある苦痛の除去にとって大きな役割を持つことももちろんあるでしょう。
ただ、私にはなぜ現状を肯定することまで必要なのかがわかりません。現状の問題、解決すべき問題を十分に認識、共有しつつも、今できることを最大限しようということは全く不可能でないと思います。
それなのに、効果的利他主義が多大な問題を孕んでいる現状のシステムについて、ペンディングどころか、徹底的に肯定する思想的基礎を与えていることに、私は強い違和感を感じました。これは、効果的利他主義そのものが論理的に含んでいる問題なのではなく、もっと外部的事実上の理由からなのではないかと私は推測しています。
【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その4 ‐ 理性至上主義の矛盾・限界と共感の肉体的基礎 - 45 For Trashb.hatena.ne.jp富裕層に対するすさまじい嫌悪感を感じるんだけど、なんでこうなっちゃってるのかなあ。
2016/04/07 13:31
私の表現が稚拙であるせいでそのように感じられたのかも知れません。ただ私は富裕層そのものへの嫌悪感を持っているわけではありません。むしろ私は彼らの言動や行動、生活についてほとんど関心がありません。
私がこの記事に表現してしまっていた嫌悪感はシンガーの思想に向けられたものです。また、ある人の行動の背景にこのシンガーと同じ考えがあるとすれば、その人が富裕層であるか否かに関わらず、その考えにも嫌悪感を感じるだろうと思います。
シンガーが情緒的なものを排除し、理性を最上位の行為基準として設定しているにもかかわらず、それが実は極めて恣意的でご都合主義的な断定に過ぎない、と感じたことが私の嫌悪感の源です。
自分の子供など愛する者には数値に換算できない特別な価値を見出しているのに、それ以外に対しては途端に冷たい数値比較を徹底する態度に嫌悪感を感じたのです。
また、その数値換算の仕方が、病気や障害のある人々も含め全ての人々が生々しい生を生きている存在であるということを無視し、いとも簡単に価値序列を決められるものだと考えている不遜さにも腹立たしさを感じました。
これらの感情的なものを表現してしまっていることは記事の弱点かも知れません。しかし、この感情抜きに私が一連の連載記事を書く気持ちにはなれなかったのも事実です。
【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その1 ‐ 序 - 45 For Trashb.hatena.ne.jp特別な愛情が先行するということも功利主義のなかに組み込める気がするけどな。全ての効用が平等なのだとしても、愛情を認めておいたほうが広く受容されやすくなるから、結果的に効用の総量が増大するという感じで
2016/03/28 22:31
大変示唆に富んだコメントです。私がコメントの意味を十分に理解できていない可能性もありますが、これにヒントを得て考えたことを書いておきます。
効用の総量を増大させるために、特別な愛情を功利主義の中に矛盾なく組み込むことが出来るとすれば、それはシンガーの効果的利他主義とは異なる、より人間的な功利主義的行為をもたらすかも知れません。
シンガーの功利主義では、表現に明確でないところはあるものの、理性と愛や共感が背反する場面に焦点が当てられており、理性が優位すべきだとされています。しかしながら、その理性には根拠がなく恣意的であるというのが私の批判でした。
仮に、愛や共感のように自分にとって特別な存在に対して人間が自然に抱く情緒的働きと、理性的な功利判断を、相反するものではなく、互いに補完し、あるいは強化しあう関係として考えることができれば、人間の「利他」行為を肉体的基礎を持った、より説得的で有益なものにすることが可能なのかも知れません。
【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その3 ‐ 圧倒的な現状肯定の思想 - 45 For Trashb.hatena.ne.jp
- [社会]
- [慈善]
- [貧困]
彼らの目的が最貧困に投資する事による中間層の排除だとしたら?
2016/04/01 15:12
私がコメントの趣旨をうまく理解できない部分もあります。
ただ、とある思想や主義、ムーブメントが、その表面での主張とは別の機能を担わされている場合は珍しいことではありません。場合によって、その主張の当事者も意図しないような実質的結果を招く場合もあるという広い意味では、このような視点で考えるのも意味がないことではないとも思います。
ただ、コメントの指摘するような意図の存否を判断するような材料を私は持ち合わせていません。
【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その1 ‐ 序 - 45 For Trashb.hatena.ne.jp効果的利他主義は確かに理論ではなくある種の哲学で「将来ビッグデータやAIによって導き出される政策が直感的に嫌悪感を抱くものでも受け入れるべき」という布石的主張だと理解している。つまりAI教の教義なのかも。
2016/03/28 21:15
愛や共感、人間の情緒的働きを排除した判断こそが正しいというシンガーの主張からすれば、コメントの指摘するような世界への布石であると考えるのも、あながち飛躍した考えとは言えないでしょう。
シンガーの著作にAIに触れた箇所があります。
たとえ、知性を持つ機械が今存在する人間すべてを殺したとしても、パーフィットとボストロムが言うように地球起源の知的生命体が絶滅することで失われる価値に比べれば、ほんのささいな損失かもしれません。ですからAIの開発が引き起こすリスクは、それが私たち人類に友好的かどうかということよりも、それ自身を含めて感覚を持つすべての存在の一般的な幸福を促すことに前向きかどうかということです。高度な論理思考能力を持つ存在は、倫理的に公平な立場を守ることができるという第8章の議論が本当なら、私たちが努力しなくても、生き物であれ機械であれ超高度な知性を持つ存在が、できる限り〈たくさんのいいこと〉をすると信じてもおかしくないはずです。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第15章 人類の滅亡を防ぐ location2780
シンガーはここで「それ自身を含めて感覚を持つすべての存在の一般的な幸福に前向き」であればAIが引き起こすリスクは心配しなくても良いと言っています。倫理的な選択は「高度な論理思考能力」を持つ存在であれば間違いなくできるということを信じられると言っているのです。
しかし、私にはそうは思えません。シンガーのこのような楽観主義は、理性至上主義(ここでは超高度な知性への信頼)に基づいています。しかし私には、人間の愛や共感、あるいは同じ類への安心など、その肉体的な基礎から来る他者を大切にする感覚抜きに倫理を構成できるとは到底思えないのです*3。
また、AIがその時点で知り得る客観的真実に基づいて理性的な判断を下すとしても、その真実は歴史的に見れば限界のある相対的な真実です。人間には、肉体的な基礎から来る他者、いや自分自身を大切にする感覚があるために、その真実の限界性を知りつつ謙虚な判断を行う可能性は残されているのでしょう(もちろんそうでない場合があることも歴史は実証していますが)。AIにそのような態度が期待できるのかは疑問です。
いずれにせよ、これは単にSF的妄想ではなく、一定の現実味を持った未来への私たちの態度を求めている問題のように思えなくもありません。
これら以外にも様々なコメントを頂きました。ありがとうございました。
最後に
最初、このような連載記事にするつもりではなく、簡単に1つのエントリーで効果的利他主義についての検討を書こうと思ったのですが、書き始めると思いのほか長くなりそうだったので連載にしました。
ただ、私の力不足、またシンガーの著作が必ずしも体系的に効果的利他主義を説明するものではなかったこともあり、思ったより苦労しました。
当初は一気に書いてしまう予定でしたが、時間を支弁するのも難しく時間もかかってしまいました。
効果的利他主義の批判に終始し、時には強い調子で批判をした部分もありますが、リソース配分の効率性に着目するという点ではこの考え方に見るべきものもあるとも思います。また、深く考えられることなく投じられる寄付を本当に必要とされている人へ届けようとする姿勢、世界の多くの最貧困層の子供たちを救う効果を上げていること等、賞賛すべき部分もあり、私たちの考え方に鋭い問いかけをしていることは事実です。
ただ、その思想には人間に対する見方や、社会に厳然と存在する問題への姿勢について、大きな弊害となるものも含まれているのではないか、そういう考えが批判的見解を中心に展開した理由です。
アメリカでは一定の熱を持って迎えられている効果的利他主義(effective altruism)ですが、日本ではまだあまり浸透しているとは言えません。この考えが、日本においても盛り上がりを見せるのか、それとも局所的に取り上げられるだけで消えていくのかは予想できませんが、私自身としてはこれが単なるブームであれ、一定の地位を持った思想であれ、あまり浸透して欲しくはないのが正直なところです。
いずれにせよ、この連載は試論ですし、時間の関係で書き殴った箇所もあります。今後、新たな見方ができるようになったら、また書いてみたいなと思います。
文字数も多いこの連載を辛抱強く読んでくださった方々に感謝いたします。
このエントリー以外の連載記事はこちら。
トランプ政権との関係はこちら。
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