アメリカではトランプ政権が誕生しました。トランプ新大統領はアメリカが従来掲げてきた価値を大きく書き換えていく可能性を持っており、アメリカ国民の間でも強い反発や警戒心が生じています。就任直後の支持率も45%と歴代最低と報じられています。
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このアメリカの状況について、以前このブログで取り上げた「効果的利他主義(effective altruism)」を掲げる人々がどのように向き合っているのか気になったので、少し調べて書こうと思います。
※ 以前、効果的利他主義について批判的に取り上げた記事はこちらです。
効果的利他主義批判 カテゴリーの記事一覧 - 45 For Trash
※ 以前の記事やこの記事でも引用している効果的利他主義提唱者、ピーター・シンガーの著書はこちらです。
あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ
※ 相変わらず超長文記事なのでお急ぎの方は太字部分だけでもお読み頂ければと思います。
日本では盛り上がりを見せていない効果的利他主義ですが、今現在でもアメリカでは"effective altruism"という言葉に対する人々の関心はそれなりに失われていないように見えます。下図はGoogleトレンドにおける検索状況の推移です。
- 価値転換を図るトランプ政権の政策実行
- トランプ大統領と人類史上最大の効果的利他主義者たち
- ピーター・シンガーはトランプ政権とどう対峙するのか
- 偉大な効果的利他主義者の行動へのシンガーの評価
- シンガーの理性とアメリカ国民の共感
価値転換を図るトランプ政権の政策実行
トランプ新政権は早速仕事を開始しています。現在のところ、トランプ氏が選挙期間中に訴えていた内容に沿う政策実現のようです。
気候変動について
例えば、地球温暖化等の気候変動の脅威、いや気候変動が起こっているという事実を否定してきたトランプ氏の主張に沿うように、ホワイトハウスのwebサイトからは気候変動に関するページが削除されました。
ホワイトハウスの公式Webサイトから気候変動への言及がいっさい消え去る | TechCrunch Japan
LGBTの人権の取扱い
また、政権移行直後には、LGBTの人権活動に関するホワイトハウスのwebページもきれいに削除されました。
トランプ氏はマイノリティーへの差別的発言を繰り返しす一方、稀にLGBTに理解を示すような発言もあり、一部にはその意図を把握しきれないという向きもありましたが、政権閣僚には反LGBTの人々が名を連ねています。
ホワイトハウスのWebサイトからLGBTの人権ページが消えた | TechCrunch Japan
移民やイスラム教徒への態度
注目されていた不法移民阻止のためのメキシコ国境の壁建設、イスラム教徒の入国制限に関する大統領令にも相次いで署名しています。
トランプ氏、「国境の壁」実現へ大統領令 メキシコ不法移民阻止で 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
米大統領令:イスラム教徒の「入国制限」 署名へ - 毎日新聞
妊娠中絶に関する考え方
また、トランプ氏は「妊娠中絶をした女性は罰を受けるべきだと」とも発言していたこともあり(後に罰を受けるのは医師で女性は被害者と発言を修正)、中絶や家族計画の支援を行うアメリカのNGOへの連邦政府の助成金支払いを禁じる大統領令にも署名しています。この大統領令の内容は歴代共和党政権の中でも最も厳しく、世界各国で活動するNGOの医療支援活動資金に大きく影響の出るものとなっています。
トランプが止めた中絶助成を肩代わりするオランダの「神対応」 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
アメリカ優先主義
また、アメリカの国益を第一にすることを明言し、国連との関わり方や国際問題に対する対応についても、これまでとは大幅に異なる態度をとることを表明しています。
「新政権の目標は、国連の場でアメリカの力と価値と主張を示すことだ」
「アメリカを支持する国は支援するが、支持しない国は1つ1つ名前を挙げて相応の対応をしていく」
トランプ政権は、イスラエルを擁護する立場から、国連の安全保障理事会が先月、採択したイスラエルを非難する決議に強く反発しているほか、難民や気候変動の問題などで国連を支援してきたオバマ政権とは異なる立場をとっており、アメリカと、国連や各国との攻防が始まりそうです。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20170128/k10010855821000.htmlより抜粋
国民や行政機関内部からも反発・抗議
ご承知の通り、このような動きにはアメリカ国内でも多数の反発があります。冒頭の写真も"Women's March on Washington"の様子を撮影したものをお借りしています。それだけでなく、アメリカ行政機関内部にもトランプ政権の政策に抗議する動きがあるようです。
米バッドランズ国立公園の公式ツイッターアカウントが投稿した地球温暖化に関するツイートが削除されたのを機に、「非公式」アカウントが登場して政権批判を始めたほか、複数の国立公園の公式アカウントが次々と、気候変動のデータなどをツイートしている。
地球温暖化に関するデータや政権批判をツイートした公式アカウントではこれらのツイートが削除され、一方で非公式アカウントが登場して政権批判を続けるという攻防が繰り広げられているようです。
トランプ大統領と人類史上最大の効果的利他主義者たち
前述のように、トランプ大統領を支持しない人々、反トランプ派の動きは、大統領就任直後としては異例なほど盛り上がっています。これらの状況の中、効果的利他主義者たちはどのように行動しているのでしょうか。
ここでは、効果的利他主義の提唱者であるピーター・シンガーから「人類史上最大の効果的利他主義者」と讃えられるマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、有名な投資家ウォーレン・バフェットの2人の大富豪らが、トランプ政権とどのように接しようとしているのかを見た上で、シンガー自身がこの政権にどのように対応しているのか見ていきたいと思います。
ビル・ゲイツやウォレン・バフェットといった世界の長者番付トップが行ったのはまさにそれで、寄付額で言えば彼らは人類史上最大の効果的な利他主義者です。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location846
トランプ大統領をJFKと並べて評価するビル・ゲイツ
ビル・ゲイツ氏は、大統領選挙期間中、どの候補者を支持するかについては明言していませんでした。明確にクリントンだトランプだ、民主党だ共和党だといった言動をすることを、慎重に避けていたようにも見えます。
ただ、ビル・ゲイツ氏、ビル&メリンダ・ゲイツ財団が現在最も重要な課題として挙げているのが地球温暖化を含む気候変動であるのに対し、トランプ氏は気候変動自体を認めず、大統領選挙期間中は、すべての国に地球温暖化対策を求める「パリ協定」からの離脱も明言していました*1。そのこともあってか、ビル・ゲイツ氏は明言はしないものの、トランプ氏を支持しないことを示唆しているようにも見えていました。
しかし、大統領選直後、ビル・ゲイツ氏はトランプ氏と電話で会話、その後トランプタワーで会談をした上で、次のように語っています。
「宇宙開発を進めたジョン・F・ケネディ元大統領と同様に、トランプの米国はイノベーションを通し主導権を取る可能性がある」
(中略)
ゲイツはジョン・F・ケネディに触れ、「エネルギー分野であれ、教育、感染症防止であれ、トランプ政権は物事を組織立って進め、法的な障害を取り除き、イノベーションを通し米国のリーダシップを発揮するだろうという前向きの見方ができる」
(中略)
ゲイツはさらに「エネルギーと気候変動問題は米国がリーダシップを発揮するチャンス」とトランプに話し「多くのイノベーションの機会があり、適切に研究を進めれば大きな収益が期待できる」との話をした
ゲイツ氏はトランプ大統領をJFKにを引き合いに出して持ち上げ、そのリーダーシップへの大きな期待を述べています。
この内容を見る限り、少なく見積もってもゲイツ氏はトランプ氏と敵対することはせず、自らの進めようとしているエネルギー分野でのイノベーション推進に対し、投資や規制撤廃等での後押しをするよう、協力関係を築いていこうという姿勢だと言えるでしょう。
尚、トランプ大統領のマイノリティや女性に対する抑圧的発言、外交政策に関する姿勢についてのビル・ゲイツ氏のスタンスは明らかではありません。ただ、明示的に発せられている批判は見つけることが出来ませんでした。
トランプ大統領との融和を求めるウォーレン・バフェット
ウォーレン・バフェット氏は長年の民主党支持者であり、今回の大統領選挙でもクリントン氏支持を表明、選挙応援も行っていました。
その中でバフェット氏は、例えば、イラク戦争で戦死したイスラム教徒である米兵の遺族をトランプ氏が中傷したとして「これには我慢できない」「良識のかけらもないのか」と激しく非難しています。またトランプ氏が確定申告書を公開しないことについても厳しく批判を続けていました。
ただ、大統領選挙後はトランプ氏に対して融和を求め、「あらゆる人からの尊敬に値する」とまで持ち上げています。また、トランプ政権発足直前には新政権の閣僚人事を「圧倒的に」支持するとも述べています。
米資産家ウォーレン・バフェット氏はトランプ次期米大統領による閣僚人選を「圧倒的に」支持すると述べた。
(中略)
ただ大統領選後は、バフェット氏はトランプ氏に対しより融和的な口調を用い、結束を呼び掛けている。昨年11月のCNNとのインタビューでバフェット氏は、人々はトランプ氏に同意できないかもしれないが、最終的には同氏は「あらゆる人からの尊敬に値する」と述べていた。
確実なことは二人がトランプと敵対はしないということ
これらによれば、二人がトランプ氏との敵対を避けるという点で完全に共通していることはわかります。
ただ、これだけで、彼らのその意図がどこにあるのかまでを確定させることはできないでしょう。ただ、トランプ大統領を支持しないと意思表明を明確にしている人々、デモ等によって抗議を行っている人々、先にみた国立公園で働きながら地球温暖化についてめげずに声を上げている人々とは一線を画している、ということだけは確かなようです。この人々とは違って、トランプ氏とどのような価値対立があろうと彼ら二人は安泰、安心していられる、ということなのでしょうか。
ごく常識的に考えれば、例えば地球温暖化対策を推し進めるべきと考えてきたビル・ゲイツ氏が、気候変動自体を否定するトランプ氏と握手し褒めたたえるなどけしからん、という話にもなりそうですが、そうではありません。
トランプ氏の言動や推し進めようとしている政策が、ゲイツ氏やパフェット氏が取り組む慈善活動の価値と、激しく衝突することは確かだと思います。
しかしながら、彼らがトランプ氏と握手をし彼と協力したからといってそれは直ちに裏切りではない、批判できるわけではない、とするのが効果的利他主義のようにも思えます。効果的利他主義は、このような場面を最初から織り込み済みで、「悪しきこと」を行うものへの協力も場合によっては効果的利他主義に適うと言う場合があるからです。
ピーターシンガーは次のように書いています。
害に加担する行動とは、その害の起きる確率を上げる行動でなければなりません。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location882
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あなたがその職を断っても、資金調達がなくなるわけではありません。ですが、その仕事に就かなければ、社会をよくする活動への寄付もそれほどできなくなりますし、鉱山会社の略奪行為に対抗する力を弱者に与えるようなチャリティを助けることもできないかもしれません。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location893
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一部の人に害を与えるかもしれない金融行為に関わることは、それがはるかに多くの人に恩恵をもたらすとしても、おそらく間違っていることになってしまいます。
(筆者注:シンガーは、このような行為を間違っているとするのは誤りであり、これは正しいことなのだと言っています。)
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location882
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あなたがその職を断っても、資金調達がなくなるわけではありません。ですが、その仕事に就かなければ、社会をよくする活動への寄付もそれほどできなくなりますし、鉱山会社の略奪行為に対抗する力を弱者に与えるようなチャリティを助けることもできないかもしれません。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location893
効果的利他主義の考え方からすれば、移民を含むアメリカ国民も、アフリカの子供たちも、同じ命です。ですから、彼らが握手をし賞賛するトランプ大統領や閣僚たちが、アメリカ国民の中のマイノリティに厳しい政策を実行したり、女性の自己決定権を後退させたり、地球温暖化を加速させたり、国際援助をなくしていっても、そこで発生する苦痛より大きな苦痛を世界のどこかで救うことができれば、倫理的には問題はなくむしろ正しい行為となります。
ここまできて考えてみると、相手がトランプ大統領であろうと、より人権抑圧的で排他的、環境破壊的な政権、例えば軍事独裁政権であっても、効果的利他主義者にとっては大した問題ではないようにも感じられてきます。もちろん、彼らにも程度の問題はあるのでしょうが、彼らにとって現トランプ政権は許容範囲であり、利用可能であるという判断なのでしょう。どこに線引きがあるのか外からは理解できませんが。彼らの頭の中にだけあるのでしょうか。
ピーター・シンガーはトランプ政権とどう対峙するのか
共感を優先した没理性的判断がトランプ当選の原因だとするシンガー
さて、効果的利他主義の提唱者であるピーター・シンガーですが、今回の大統領選挙の結果に対して次のように評価しているようです。
The Empathy Trap (PETER SINGER 2016.12.12 PROJECT SYNDICATE)
共感の罠(ピーター・シンガー)(前略)
For whom should we have empathy? As Donald Trump prepares to succeed Obama, analysts are suggesting that Hillary Clinton lost last month’s election because she lacked empathy with white Americans, particularly Rust Belt voters yearning for the days when the US was a manufacturing powerhouse. The problem is that empathy for American workers is in tension with empathy for workers in Mexico and China, who would be even worse off without jobs than their American counterparts are.
私たちは誰に共感すべきなのでしょうか?ドナルド・トランプがオバマを引き継ぐ準備をする中、アナリストたちは、先月の選挙でヒラリークリントンが票を失ったのは、白人たち、とりわけアメリカが製造業の覇者であった時代への憧憬を持つラストベルトの有権者たちへの共感が欠けていたからだ、と言い出しています。問題は、アメリカの労働者たちへの共感が、失業した場合彼らよりもっと悪い状況に置かれることになるメキシコや中国の労働者たちへの共感と、緊張の中にあるということです。
(中略)
Empathy and other emotions often motivate us to do what is right, but they are equally likely to motivate us to do what is wrong. In making ethical decisions, our ability to reason has a crucial role to play.
共感や他の感情は、しばしば私たちが正しいことをする動機になりますが、同じようにそれらは間違ったことをする動機にもなります。倫理的な意思決定を行う際には、私たちの理性の能力が重要な役割を果たすのです。
(後略)
The Empathy Trap by Peter Singer - Project Syndicate
※日本語は拙訳
これによれば、シンガーは、ラストベルトの白人労働者への共感をメキシコや中国の労働者への共感より優先してしまうことは理性的・倫理的に間違いである、と考えているようです。なぜなら、アメリカの労働者が失業した場合より、メキシコや中国の労働者が失業した方が、より過酷な状況に追い込まれてしまうから、というわけです。
なるほど、効果的利他主義者らしい判断ですね。アメリカ人労働者も他国の労働者も同じ人間で等価であり、1人1個という単純な数値として比較すべきだとする彼からすれば、アメリカの労働者を他国の労働者より優先すべき理由はない、アメリカ国民にとっても。それは理性によってわかるはずだ、と言っています。
目の前の結果を見ても、シンガーのこのスタンスは以前と変わりません。
トランプ政権のために働くことも倫理に反することではない
また、次のような記事もあります。
トランプ政権のために働くようにオファーを受けた場合、トランプ政権と距離を取った方がよいのか、何か積極的な変化をもたらすようにトランプのために働く方が良いのか、という質問を電話で受けたシンガーは次のように答えています。
Is it ethical to work for the Trump administration?
(Oliver Staley 2016.11.11 QUARTZ)
トランプ政権のために働くことは倫理的と言えるでしょうか?(前略)
“My view is that you ought to accept the position, you ought to go into it with an open mind, you ought to go in thinking you’ll be able to make a difference,” he said. “And if you get to the point where you think there’s nothing you can do, you should be prepared to leave.”
私の考えとしては、あなたはその与えらえたポジションを受け入れるべきだと思います。あなたは開かれた気持ちで、そして自分が参加することで何か良い差異を生み出せるという考えを持ってそこに参加すべきだと思います。もしあなたがそこでできることは何もないと思うところまできたら、そこを離れる準備をすれば良いのです。
(後略)
これも先に引用した著書での主張からぶれていませんね。
しかし、この質問に見られるようなジレンマ・悩みは、「これほどまでに酷いトランプ政権のためにでも働いて良いものなのだろうか」ということが一番のポイントで、トランプ政権を倫理的にどう評価しこれに加担する行為が倫理的なのかが問いの中心にあるはずです。しかしシンガーはその見極めについての具体的基準は以前から示していません。ですから、同じことを繰り返していればシンガー自身は矛盾を来さなくて済むのですが、現実の悩みに対して有効な回答と言えるのか、という根本的な疑問がわいてきます。
対話、不服従、非暴力的民主主義的な手段
次のオピニオン記事で、シンガーはこれまで見てきたものより少し強い調子でトランプ政権への批判的な見方とそれへの対峙の仕方について述べています。
No, don’t move to Canada — or Australia - The Boston Globe(2017.1.3)
長文になるので、その一部をごく大ざっぱに(かなり意訳的)書くと、
というようなことが書かれています。
ここにあるのは、ごく普通の民主主義者の考え方*2で、特に注目すべきものはありません。
偉大な効果的利他主義者の行動へのシンガーの評価
シンガーが、ゲイツやバフェットを「人類史上最大の効果的利他主義者」と呼んでいたからといって、彼らを効果的利他主義者の代表のように扱うのはフェアではないのかも知れません。シンガーが彼らを裏切り者だとする可能性も皆無ではないかも知れませんから。
しかし、より可能性が高いのは、先に述べたように、効果的利他主義の「便利な」考え方に従い、トランプ政権の反倫理的性格が、政権への協力を直ちに倫理的誤りだと結論づけるわけではない、と判断する方です。。
この2人の行動についてのシンガーのコメントは見つけることが出来ませんでした*3。シンガーが彼らを裏切り者と呼ぶことは決してなく変わらず賞賛を続けるだろう、という私の推測はが正しいかは、今後の発言を待って判断したいと思います。
また、シンガーはそもそもトランプ氏を倫理的にどう評価するかについて、判断材料がまだ足りない、と考えている節もあります。私には十分な材料があると思えるのですが、これも今後のシンガーの発言を待ちたいと思います。
シンガーの理性とアメリカ国民の共感
シンガーは大統領選挙の結果を目の前にして、アメリカ国民が共感を向けるべき対象を誤った、きちんと理性を働かせることができなかった、と言っています。
しかし、本当にそうでしょうか。
トランプ氏が大統領選挙に勝利したのは、多くのアメリカ国民が自国の労働者(特に非移民)と中国・メキシコの労働者とを比較し、前者への共感で行動してしまったからではありません。シンガーがそれを比較すべきだと思っていたとしても、議論の俎上にも上っていないと思います。
共感の対立という点で言えば、非白人や移民労働者あるいは女性、性的マイノリティ、障害者等の立場の弱い人々も含めたアメリカ国民に共感を働かせるのか、これらの人々を除いた一部のアメリカ人にだけ共感を働かせるのか、という対立だったのではないでしょうか。
シンガーは、理性を働かせた倫理的判断においては、ある人にとっての人間の価値は世界中どこにいる人間であっても等価であるとしています。そして、この考え方によって、遠い国の子供たちの命は救うけれども、自国で苦しんでいる人々、それはマイノリティだけでなく、ラストベルトの白人労働者も含めて、同胞の抱える苦しみを救うことには無関心であるという態度を正当化しています。
これは、今回の大統領選挙で矢面に立たされたエスタブリッシュメントの姿勢とされているものと共通しています。世界を幸せにし平和にするような綺麗ごとは言うけれど、自分たちだけは巨額の利益を得ながら、自国の同胞の苦しみに関心を払わず冷酷である、と描かれているものです。この指摘のすべてが事実に沿っているかどうかは別としても、ある意味これはシンガーの姿勢と強く重なります。
シンガーは自分にとっての近しさを基準にすべきではないと言います。しかし、シンガー自身が近しい肉親を特別扱いすることを否定していないように、自分に親しいもの、隣人、同胞に対する共感は否定しがたい人間の本性です。この本性を否定し理性を働かせた倫理的判断をせよとシンガーは命じますが、その倫理は上の例を見ただけでも曖昧で、その主体がどうとでもコントロールできるものです。
参照:【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その4 ‐ 理性至上主義の矛盾・限界と共感の肉体的基礎 - 45 For Trash
トランプ大統領を誕生させた原因を一つに求めることはできません。しかし、グローバリズムの恩恵を受けるエスタブリッシュメントの同胞への冷酷さに焦点が当たったことは事実です。それをシンガーは、没理性的な共感選択の誤りだといまだに処理していますが、私にはそうは思えません。クリントン支持者、あるいはトランプに反発する人々が、シンガーの言うようにメキシコや中国の労働者への共感を優先させていたわけではありません。
候補者の対立に目を奪われがちですが、そうではなく共感の対立に着目すれば、それは主に、一部のアメリカ人への共感なのか、現実に存在するすべてのアメリカ人への共感なのか、ということです。トランプは一部のアメリカ人への共感をテコにしました。しかしクリントンは本当に誰かに共感しているのか、自分たちの利益だけを優先し共感を持たないエスタブリッシュメントに過ぎないのではないか、と見られてしまいました。共感vs共感の闘いではなく、共感vs共感のない者の闘いとして描かれたのです(実際には共感対共感の闘いが行われていたのだということは後に述べます)。
実際には、マイノリティや女性の人権、移民の人権等については、クリントンの方が理解していたでしょう。また、NGOを通じた国際的支援等についてもクリントンの方が積極的であったでしょう。しかし、日々の苦しみの中にいる人々にとって、それだけでは自分たちに寄り添ってくれているとは感じられない。いくら綺麗ごとを並べても、目の前にいる自分たちには共感を示してくれない、そういう没共感的態度に敗北を突き付けたのが今回の選挙だったのではないでしょうか。
シンガーが、近くの同胞と遠い異国の人々を等価におき、アメリカ人が苦しかったとしても、アフリカの子どもよりはマシなのだからアフリカの子どもを優先すべきだ、それが倫理的価値の高い行為なのだ言っているうちに、アメリカはマイノリティを敵視し、移民を排斥し、女性を蔑視する政権を誕生させました。その原動力の核の一つとなったのは、白人労働者たちの感じた「見捨てられている」という感覚です。シンガーが見捨てた人々、効果的利他主義者が見捨てた人々が、反旗を翻したのです。
効果的利他主義がほとんど力を持たないと私に思えるのは、彼らがまるで神のように「理性」を信奉し、近しい人間への共感を否定し、金銭の力によって遠くの人間の救済を優先することを倫理的だと話している一方で、アメリカ国民の苦しみが一向に改善されないからです。同胞を無視し、場合によっては同胞を痛めつけることに加担しながら、遠い誰かを救うことで胸を張る効果的利他主義は、今回敵視されたエスタブリッシュメントの哲学だとすら言える側面を持っています。
アメリカは今、一部の移民やマイノリティを排斥し、同胞の外に追いやろうとしています。この狭量な同胞愛にシンガーはきちんと対峙することはできないでしょう。シンガーは全人類を等しく愛しているのでありアメリカ国民は特別ではないからです*4。彼の考えによっては、トランプ支持者が同胞愛の対象を狭めていくことに対抗はできません。
この狭量な同胞愛に対抗するのは、シンガーの言う理性や倫理的ではありません。誰を同胞と考え誰を優先的に救うべきかについてのアメリカ国民の選択は、あらゆる移民を受け入れ共に生きてきた歴史の中で行われてきたものであり、共に生きるもの同士の近しさ、親しみという人間的基礎によって行われてきたものでしょう。そして様々な問題を抱えながらも、アメリカ国民は移民を含めて同胞と見なしてきました。
真の闘いは、共感と理性の闘いではないのです。共感と共感の闘いなのです。シンガーの言うような理性の出る幕はありません。
では理性は不要か?そんなことはありません。理性を働かせるべきなのは、自分や共感する人々とっての本当の利益、本当の味方、本当の敵は何か、という判断をする局面です。
トランプ氏を支持した人々は、トランプ氏が自分や自分の考える同胞に利益をもたらすと信じたのでしょう。トランプは狭量でしかし激しい共感をテコに支持を伸ばしましたが、この共感を寄せた人々に本当に利益をもたらすかどうかはわかりません。トランプ支持者の中には、想像しているよりも多くの層や人種に属する人々が含まれていますが、その中にはトランプ政権によって苦しみが減るどころか増える人もいるかも知れません*5。
一方で、トランプ支持者たちがエスタブリッシュメントの姿勢(効果的利他主義者と重なる姿勢)を裁きたいと考え選挙に勝利したにもかかわらず、ゲイツやバフェットは即座にトランプにすり寄り、安全な場所を確保しました。今後、彼らはトランプと手をつないで自分たちの利益と倫理的自己満足を得続けることになるでしょう。ゲイツやバフェットは遠い国の子供は救うかも知れませんが、アメリカ国内の誰の味方でもないのかも知れません。自分自身以外は。
自分や自分の同胞を誰だと考えるのかの基礎には共感があります。しかしそれだけで、自分たちの共通の敵は誰か、本当の見方は誰かを簡単に見極めることはできません。それが共感の限界であり、理性の補完によって初めて、真に自分や自分の同胞を救う選択ができるのだと思います。
現実には、アメリカの狭い共感はトランプに集められ、クリントン氏にはそもそも共感などないのではないかと疑いがかけられました。そしてアメリカの寛容性、いわば広い共感は今行き場を失っています。しかし、それは今後再度集約され、トランプ政権に激しくぶつけられるかも知れません。
その燃料となるのは人間的な感情の働きである「共感」であり、それを正しく方向づけるのが「理性」なのだと私は思います。
そして、そのような共感と理性の働きによって、アメリカが分断を越え、広い共感が狭い共感を包摂し、理性によって共通の敵を認識する日が来たら良いな、というのは私の夢想ですが、それが我が国において起こることについては本気で強く望んでいることを、こっそり最後に書いておきます。
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