45 For Trash

しごうするのか、されるのか。

夕焼けはいつまでも同じ

実家のベランダから夕焼けを見ていた。稜線が黒く浮かび上がっている。私はこの地域の山の形が好きだ。この家を出る前、高校生の頃、飽きもせず夕焼けを見ていた。

夕焼けに浮かぶ黒い稜線
夕焼けに浮かぶ黒い稜線

これは長々とした愚痴である。すべては自分へのしっぺ返しだ。

実家には年老いた両親が2人で暮らしている。近くに結婚した姉がいたが数年前に亡くなってしまった。

約1カ月前、母が転倒して骨折し入院手術をした。母は「来なくても良い」と言っていたが、慌てて仕事を整理して帰省した。車で約6時間半ぐらいだ。それから今日まで、一度だけ家に戻ったが、ずっと実家に張り付いている。母は入院中なのでさほど心配ないと思ったが、年老いた父を1人にできないのである。


父はかなりの高齢なので、既に短期記憶は効かなくなっている。それ以外の会話は正常に成立するし、特別な認知機能の低下も感じられない。しかし、母が怪我をする少し前ぐらいから食欲はかなり低下し、ほとんどの時間を横になって過ごしていた。放っておくと水分以外をほとんど口にしない。特別な病気はないが極端に痩せてしまっている。起き上がってトイレに行ったり、冷蔵庫に飲み物を取にったりはするが、それ以外はほとんど布団の上である。

病院に関することを父にやってもらうわけにもいかないのもあるが、それよりも父が何も食べず数日で衰弱するのではないかというのが最大の問題だった。母も父の安否を常に気にしているし、私も電話で確認するだけでは心許ない。それで実家に張り付いているのである。

父が食べない。好物だったはずのものを用意しても箸をつけようともしない。仕方がないので、かかりつけ医に行って、栄養補給用の飲料を処方してもらった *1 。騙し騙しこれを飲ませるが、1缶で250キロカロリーに過ぎない。父の好きだった魚や肉料理を作ってみたり、菓子類や果物、ゼリーなども準備するが、食べてくれるのはごくわずかである。あんこが大好物だったのに、おはぎなどにも見向きもしない。

食べると気持ち悪くなるとか、腹の調子が悪くなるとかではない。飲み込むことも難しいわけではない。ただ「食べたくない」の一点張りである。


父の命の灯が徐々に小さくなっているように見える。自然と生きようという気力が失せているようだ。本当にそうなのかもしれないが、母が入院している今、放っておくわけにはいかない。母がいつも父を気にしているのだ。

父は相当な変人であり、他者と関わるのが極端に嫌いである。他者とは、他人だけではなく、親族のように近しい人間も含む。時々息子である私に対してもそうなのではないかと感じることもある。いや、確実にそうである。

だから「このまま食べないでいると点滴をしなければならなくなる。入院して他人に囲まれるか、家に医者や看護師が来るかだ。」と脅すと、少し食べる。しかし、短期記憶がダメなので、数分後には忘れている。

買い物に行き「今日は親父に何を食べさせようか。何だったら食べるんだよ!」とぶつぶつ言っている。考えて作ったところでどうせ食べない。しかし諦めきれない。今日も無駄になることを予測しつつも献立を考える。


父は昔から何を考えているかわからない人だった。ほとんどの人が父の真意を取り違えていた。ただ、私だけは父の考えを推測できた。父は自分の気持ちを口にすることはほとんどない。また、何かを言っても独特の言い方で、直接的な表現をしない。だから多くの人が父を誤解していた。私は幼い頃から父が何を考えているのかを推測し、父の行動からその答え合わせを密かに繰り返していたので、他の人間よりも父の考えはわかる。おそらく母よりも理解しているだろう。

父の考えはほとんどの場合、私にとってはおよそつまらないものであった。がっかりすることも多かったが、それを否定したり批判したりすることはほとんどなかった。父が考えを押付けてくることはなかったので、その必要がなかったということもあるだろう。

父は父である。その頭の中を他人が知れば、それはかなり偏屈な変人とでも言うべきものだが、私にとってはそれが父だ。表現が乏しく地味な存在なので周囲に波風を立てることはほとんどなかった。唯一迷惑を蒙ってきたのは母だが、母は父を理解しないままこれを受け入れている。

私にとって、父を本当に理解しているのは私だけであったから、父に怒りを感じるようなことはほとんどなかった。また、他の人よりは私の言うことを聞く人だった。しかし、今回食べないことに対しては腹が立った。あれこれと考えて料理をしたのに食べないとか、いくら言っても食べないとか、そういうことに腹が立つのではない。ただ単純に父の食べる意思の無さに腹が立ったのである。

食べられないのではない。食べたくないのだ。まるで緩やかに死のうとしているようだ。

腹が立つ。と同時に、思うようにさせてやりたいとも思う。




私は父に「死ぬときは家で死ねよ」と言った。「他人がうようよいるような場所で死ぬなんて親父が一番イヤなことだろう?食わなければ入院して点滴だ。他人のいない家の中で死にたいんじゃないのか?飯を食わないとそれもできなくなるぞ。」

親父は「そうだな。」と一言言った後、いつもより勢いよく食べた。今日は長芋のとろろなら機嫌よく食べることがわかった。


会社にはしているものの、私はいわゆる自営業者のようなもので、複数の事業を併行してやっている。実家に張り付くにあたっては、いくつかの事業のうち場所を問わずできるものだけを実家に持ち込んだ。もちろんこの状況は仕事にとって非常に厳しい。ただ、幸いその事業が上向いてきたところであったので、実家にいながらも仕事は忙しかった。ただ他の事業はほぼ休業状態である。

朝、なんとか父の口に何らかのものを入れさせた後、母の病院に向かう。母の要求に応じ、いつもの繰り言を聞いた後、病院を出る。父の食事を考えながら大急ぎで買い物をして実家に戻り仕事をする。いつになく問合せも多く、移動の合間に応答する。父に何かを食べさせ、洗い物や洗濯を済ませる。1日に何度も病院にいくこともあり面倒だが、移動の車の中だけがほっとする空間ともいえる。この生活にも慣れてきた。

とはいえ、これをいつまでも続けるわけにもいかない。私の生活・家族は他の場所にある。


母が退院しても状況が好転するわけでもない。母の怪我は足ではないので歩くことは可能だが、手が不自由になっている。ほとんど寝てばかりいる父と母だけを放っておくこともできない。それで初めて介護サービスを利用することにした。介護認定申請をして認定調査を受け、ソーシャルワーカーと利用するサービスの打ち合わせをして、近日中にケアマネージャーと相談することになっている。

実家に誰かが定期的に出入りしてくれれば少しは安心できるのかもしれないと思う。親父に介護サービスのことを話したら、あからさまにイヤな顔をしていた。当然だ。他人が家に入ってくること自体が大嫌いなのだ。顔を合わせなくても、その空気があることすらイヤなのである。しかし、今回ばかりは父に配慮はできない。そもそも父の介護サービスを考えなければならない段階だが、父が絶対に拒否するだろうから母のサービスから徐々に慣らしていこうという作戦なのである。


母は高齢とはいえ、以前は大した認知の低下はなかった。しかし、怪我をして手術をしたことで様子が変わってきた。

全身麻酔で手術をした後、いわゆる術後せん妄という状態になった。麻酔が切れた後もブロック注射の効果で怪我の箇所は痛くないと説明を受けていたが、母はうわごとのように「痛い、痛いよ」と繰り返していた。その言い方が尋常でなく異常を感じたが、翌日はまるで抜け殻のような様子だった。私自身も全身麻酔の経験があるがこんなことはなかった。医者にも話すと、高齢者には一定の割合で術後せん妄が現れるとのことであった。回復する場合も多いが、これをきっかけに認知症が進む場合もあるという。

術後3日目ぐらいまで、母は時々意味不明のことを言った。脈絡なく「応仁の乱で京都が燃えたのよ」と話し始めた時は笑ったが、何度も繰り返されると笑えなくなる。「すぐに家に帰るから着替えを出せ」と言ってきかないことも度々あった。わがままを言うような人ではなかったので、明らかにおかしいと感じ、このまま重度の認知症に至るのではないかと不安になった。仕事の時間をなんとかずらしながら、病院に長く滞在して母に話しかけるようにした。刺激が必要だと考えたのである。

数日経つと、母はおかしなことを言わなくなり、会話も普通に成立するようになった。見舞いに来た親族も異常は感じていなかった。しかし、私からすればやはり少しおかしい。以前と同じような言葉がかえってきても、反応の仕方が以前とは違う。やはり少し認知に問題が生じているのだろう。「この後仕事があるから、今日はもう来れないよ」と告げて帰っても、実家に着くころに「すぐに来て」と電話がある。行けないことを忘れているのではない。行けないことは覚えているのに来て欲しいということなのだ。入院のストレスはあるだろうが、以前はそんな人ではなかった。何かのスイッチが外れっぱなしになっているように見える。


そろそろ一度自分の家に帰らなければならない。母の退院も近いだろう。実際にはそこからが大変なのだろうと思う。母の怪我が回復したからといって、前と同じようにはいかないのだろう。これまでと違うやり方を計画しているが、それがうまくいくのかどうかわからない。仕事もこのままで良いわけはない。


私は一度故郷を捨てた *2 。だが今日またここで夕焼けを見ている。

夕焼けは、煙草をふかしながら見ていたあの頃と変わらない。ひとつとして同じ夕焼けはないはずだけれど、それでもいつも同じ。

時は流れ物事は変わる。川の水が常に入れ替わっているように世界は変わっていく。そこに変わらぬ川があると思い込んでいても。

夕焼けはいつも同じ。いつまでも同じだ。すべては変わっているのに。


明日は母を迎える部屋の掃除だ。いつもと違う部屋に介護ベッドを入れる予定。カーペット敷きの厄介な部屋なので、大量の重曹を使って掃除する。


This is a post from 45 For Trash

*1:エンシュアリキッド。

*2:事情は書かない。

POLICY :1. このサイトへのリンクは自由です。 2. できるだけ誤りのないように書いているつもりですが、当サイトに掲載する情報の正確性は保証できません。また掲載している情報は執筆日現在の情報です。 3. 当サイト、当サイトリンク先、広告リンク先の利用によって生じたいかなる損害についても一切の責任を負いません。 4. 当サイトはGoogleアドセンス、Amazonアソシエイト、その他アフィリエイトの広告を掲載している場合があります。 5. 当サイトご利用の場合は上記の事項に同意したものとみなします。