超久しぶりの投稿。このブログをどうするか考えなければいけないけれど、とりあえずは先延ばしに。
一人暮らしの母の暮らしについて書く。とりとめもなく思いついたままに書く。
父が亡くなり、母が一人暮らしとなって3年が経つ。
当初は多少の介護サービスで事足りていたが、少しずつ認知症も進んできた。3年の間に自宅で2回転倒骨折し入院ともなった。2度目の入院については、先日退院となり、退院後の様子を確認するため私が長期滞在している。私の家から母のもとまで600km離れており、車で7時間程度はかかる。長期滞在のためには仕事の調整も必要。私が立て続けに大病したこともあって、通院の都合も合わせなければならない。しかし、仕方ない。
母の施設入所も考えているが、母が家で暮らすことを望んでいるので、在宅介護サービスの利用を続けている。
ケアマネージャーさん、訪問看護師さん、ヘルパーさん、介護用具の会社のスタッフ、薬剤師さん、往診してくださる医師の方など、多くの方に支えられて母の暮らしは成り立っている。
母を一人にしていることには常に罪悪感があり、迷いもある。担当のケアマネージャーさんは、そのあたりの気持ちを率直に話すことができるありがたい存在だ。母の希望を最も重要視し、私の気持ちも考えながら、様々な選択肢を示してくれる。母は、このケアマネさんをかなり気にっており、訪看さんやヘルパーさん、薬剤師さんなどと会うのも楽しみにしている。医師の方は長年のかかりつけ医であり、慣れ親しみ信頼している方だ。父が自宅で穏やかに旅立つ際も早急な対応をしてくれた。
先日、多くのスタッフが自宅に集まり、今後のケアについてミーティングをしてくれた。前よりもサービスを増やし、より細やかなサポートをしてくれることになった。変更申請をかけた介護認定のレベルが上がらないと介護保険適用外となり、金銭的負担が増える可能性があるが、それは致し方ない。ただ、すべてのスタッフの方々が、母はしっかり暮らせるはずだと言ってくれたので、私はとても安心した。私は、このスタッフの方々を信頼し、本当に頼りにしている。そのようなスタッフに恵まれていることは幸運なのだろう。
母の認知症が始まった頃は、母と過ごすことが辛かった。それは母が認知症となったことを私自身受け容れられなかったからだろう。「なぜできないんだ」、「なぜそんなわけのわからないことを言うんだ」と、逐一腹が立ったし、その都度ショックも受けていた。そのため、たまに語気が荒くなるようなこともあった。
しかし今は穏やかに接することができる。認知症の母を「そういうものだ」と思うようになった。以前の人格とは違ってしまってきているところもあるし、前と変わらないところもあるが、今の母が「母」なのだと思えるようになった。
母は長い間入院しており、新型コロナで外部との接触もほとんどなかったので、退院後は散歩に連れ出し、一緒に桜も見た。2回の転倒骨折はいずれも大腿骨骨折だが、幸い杖をつけば自立歩行できる。私と手を繋いでだが、1時間程度歩きまわった。
話し好きの母が以前より言葉少なになった気がして心配だった。今回入院の病院と母の相性は悪かったようでそれも影響しているのかもしれない。ケアのスタッフさんが来た時もとても嬉しそうにしていて皆とハイタッチなどもしていたけれど、あまり話はしなかった。
ある日、母が朝から歌を歌っていた。「夏の思い出」である。しかし、うろ覚えの歌詞を自分で適当につくって歌っている。そこで、母に正しい歌詞を教えることにした。ノートに歌詞を書き出し、それを読みながら何度も一緒に歌った。最初は同じところを間違え、そのたびに私が訂正した。そして何度も歌い直した。何度も何度も。何度歌っても、母は大きな声である。私も少しずつ声を張って、情感を込めて歌った。
一度は正しい歌詞で歌えるようになったが、少しするとまた間違った歌詞になってしまう。そこで、母のベッドの横に歌詞を書いた紙を貼った。母は寝転んでも歌っている。
母は尾瀬にいったことはないが、尾瀬の様子を私に話してくれる。木道のことや、山小屋への荷物運びなど、まるで見てきたようである。私は尾瀬に何度か行ったことがあるが、母の話をおとなしく聞く。この話題をきっかけに、色々な話をしてくれた。母の両親や兄弟たちのことなど子どもの頃の話、共に働いた父との仕事の話、既に亡くなった姉が小さい頃にピアノの練習をしていた時の話、時々過去と現在が入り混じって辻褄が合わない時もあるが、とても楽しそうに話してくれた。何度も聞いた話も、初めて聞く話もあるが、大きく相槌を打ちながら聞く。言葉が少なくなったという私の心配は杞憂だったのかもしれない。
そういえば、アマゾンのEcho Show 5 (エコーショー5) を母の見守りカメラとして活用している。一番の目的は、母が倒れていないかなど、私のスマホから室内を確認するためである。テレビ電話として活用することもできるが、一方的に見守ることも可能だ。母の方から「アレクサ、しごうに電話して」と言えば、私のスマホにテレビ電話通話を発信することもできる。それに加えて「リマインダー」機能を利用して、母に様々な行動を促すこともできる。ヘルパーさんが来る直前に「ヘルパーさんが来ますよ」と呼びかければ、母はそれに合わせて玄関のカギを開けることができる(母が気付かない時に備えてキーボックスも設置してある)。「ご飯を食べてくださいね」とか「歯磨きをしてくださいね」、「そろそろトイレにいきませんか」といった呼びかけが、母の行動のきっかけとなっている。母が過ごす居間、台所、それから玄関と、3台のEcho Show 5を設置しているが、これは結構便利である。
Echo Showシリーズには最新のものもあるが、価格的には古いものの方が良い。さほどの高機能も必要ないためEcho Show 5としている。
ただ、Echo Show 5を便利に使えるのは、毎日家に出入りしてくれるヘルパーさんや訪看さんなどがいてくれるからだ。テクノロジーだけでなんとかなるわけではない。信頼できる人たちがいてはじめて成り立つことではある。
今まで言えなかった想いを母に伝えた。母は泣いていたが、詳しくは書かない。
私は1~2か月に1度、母のもとに来るつもりだ。