効果的利他主義者と呼ばれる人々の中には、誰もがその名を知っているような超大富豪の人々もいます。この人たちは、私などからすれば気が遠くなるような多額の資金を慈善活動に投じています。
すべての慈善活動が「よいこと」だとすれば、彼らの行為は素晴らしいことであり、彼らは立派だということになるでしょう。寄付を行うにしても、自分のなけなしのお金をポケットから捻出している庶民からすれば、何も言えなくなるような金額ですから。
ただ、これまた我々が想像もできないような大富豪の生活にかかるお金を支弁した上で、巨額の資金を慈善活動に拠出できること自体に疑問を感じる人はいないのでしょうか。
少なくともピーター・シンガーはこれに疑問を差し挟むことはありません。それどころか、彼らがこれほどまでの富を集めていることに対し、倫理的正当性の基盤を与える議論を展開しています。今日は、この点について詳細に見ていくことにします。
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尚、今回もピーター・シンガーの『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』の記述を挙げ、それにコメントをしていく形で書いていきます。
あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ
不幸を生み出すことには無頓着な効果的利他主義
寄付をするためにウォール街で働く
シンガーが挙げる効果的利他主義者の例に、マット・ウェイジという人がいます。彼はかつて優秀な哲学科の学生でありオックスフォード大学の大学院に合格します。しかし、彼は「たくさんのいいこと」をするために大学院には行かず、次のような仕事に就きます。
マットはウォール街の仕事に就きました。裁定取引〔市場間の価格差を利用して利益を得る取引〕を行う金融企業に勤めることにしたのです。収入が多ければ、それだけたくさん寄付ができます。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第1章 効果的な利他主義とは?、location146
彼はすぐに大学教授の収入を大きく上回る収入を得るようになり、大学教授になっていた場合よりも多くの金額の寄付を行えるようになりました。
私はマッド・ウェイジ氏自身の選択を云々するつもりはありません。彼は実際に自分の収入の多くを慈善事業に寄付しており、それは「よいこと」でしょう。また、自分の進路を「たくさんのいいこと」をするという一点で選ぶ*1ということは、誰でも真似できることでもないでしょう。
シンガーもこのような選択のみが正しいとまでは言っていません。他にも質素に暮らしながらできるだけ寄付をするなどの選択肢を示しています。しかし一方で、このマットの行為を賞賛していることは確かです*2 *3。
ウォール街の金融企業が合法的に利益を上げることを、現在の法律の下で批判することはできないでしょう。しかし、このような企業がアメリカ国内や他国の貧困を拡大している可能性については、多くの議論があります。倫理的な疑義は残るわけです。しかし、シンガーはこのことに対する考慮は払いません。いや、正確に言えば考慮は払うものの、結論的には倫理的に問題ないとします。このことは、後で出てくる記述で明らかになるのですが、いずれにしても、シンガーは不幸という結果を改善することには熱心でも、その不幸を自らが生み出す可能性については無頓着であるように見えます。
経営者は利益の使い方だけが問われる
この態度は、他の場面でも徹底しています。
途上国に工場を立てた経営者が、労働者にそれなりに良い給料を与えると同時に、自分自身も利益を得ているような場合、効果的な利他主義者と言えるか、という問いに対して、シンガーは次のように答えます。
その利益をあなたはどう使うのでしょう?(中略)さらに多くの人を救うために利益の大部分をふたたび投資するはずです。それなら、あなたは効果的利他主義者です。ですが、その利益を使ってありったけの贅沢な暮らしを送るのであれば、一部の貧しい人に恩恵を与えていても、効果的利他主義者とは言えません。この両極のあいだには、さまざまな中間の立場が存在します。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第1章 効果的な利他主義とは?、location263
ここでも、利益の使い道についてしか言及はされません。一旦集めた富をどう使うかの問題には倫理的な問いかけはするものの、直接に労働者に正当な賃金を払うべきという問題には関心がないように見えます*4。どのように吸い上げたとしても、後に配分するならば、吸い上げ方については問われないのです。この論理によれば、「搾取者」を免罪するどころか、倫理的な高みに持ち上げることすらできます。不幸を生んでいる張本人かも知れないのに、です。
あるがまま資本主義を受け入れる
格差の問題解決よりも富裕層の善意に期待する
シンガーのプレゼンテーションに影響を受けて効果的利他主義を実践しているジム・グリーンバウムという人は、自らが創業した会社を成長させ、その会社を売却して大きな資産を得ます。
四一歳になったばかりの一九九九年に会社を売却し、一億三三〇〇万ドルの純資産額を持つまでになりました。生前にその八五パーセントを人間と動物の苦しみを和らげるような活動に寄付し、死後に残りを同じ目的に寄付すると決めました。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location678
グリーンバウム氏が篤志家であることを賞賛し、彼がそれなりに贅沢な暮らしをしていたことも問題ないとして、しかし1億3300万ドルの純資産はどこから来たのでしょうか。たった一人の人間が、これほどの富を持つことができるシステムについての疑問はどこにも見られません。
もちろん、資本主義は今も多くの人によって支持されているシステムです。しかし、このような富の集約に倫理的な意味で(法的な意味ではない)まったく問題ないと言い切れるのでしょうか。
これについては、シンガーの資本主義に対する考え方が端的に表れている部分があります。次のような疑問に対する回答です。
「現在のグローバルな資本主義は、格差を拡大させている。市場競争の結果、少数の人がより金持ちになり、はるかに多くの人が極度の貧困へと追いやられている。貧富の格差はますます開いている。グローバルな貧困対策に寄付するために金融業界で働くことは、放火魔が消防署に寄付するようなものだ」
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location841
これに対するシンガーの答えはこうです。
確かに資本主義は格差を拡大させているように見えますが、それが人々を極度の貧困へと追いやっている証拠にはなりません。というのも、貧しい人の状況が変わらなくても、金持ちがますます金持ちになれば格差は開きますし、貧しい人の状況が改善しても、その改善度合いが金持ちの上昇度合いを上回らなければ、格差は開いてしまうからです。(中略)貧しい人がより貧しくならないのであれば、富める人がより豊かになっても、それが全体に悪い結果をもたらすとは言い切れません。そうなれば、富める人が、より貧しい人を助けられるようになるからです。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location851
私はこの記述を読んで驚きました。もしかしたら、この形式論理に納得する人もいるかも知れませんが、私には欺瞞以外の何ものにも見えません。
貧困とは絶対的なものではなく、相対的なものです。例えば、2千年前の時代に貧しかった人々と、現代の貧困層が同じ生活水準だとしたら、この両者の貧しさは同じだというのでしょうか。シンガー自身、この現代においてマラリアの予防接種を打てないがために死んでいく貧しい人々を救うことに強い関心を持っているようですが、マラリアの予防接種を多くの人が打てる現代と、誰も予防接種など打てなかった時代で、予防接種を打てずにマラリアの恐怖にさらされる貧しさの悲惨さは明らかに異なるでしょう。
シンガーも人間の生活が紆余曲折を経ながらも豊かになってきたことは認めているはずです。しかし、現代社会においては、貧困層の生活は一向に向上せず、一方で富裕層はより富んでいくばかりではないか、という問題意識を持っている人は多くいます。
この問題に、シンガーは正面から答えようとせず、貧しさが絶対的に横ばいであれば格差は問題ではなく、むしろ富裕層がより富めば、彼らの善意によって貧困は救われると言っているのです。
なぜ、貧困層も富裕層からの施しを受けずに豊かになれる方法を問題にせず、富裕層の善意にだけ世界の未来を託すのでしょうか。
倫理的価値は金額で判断される
一つの象徴的な記述があります。
ビル・ゲイツやウォレン・バフェットといった世界の長者番付トップが行ったのはまさにそれで、寄付額で言えば彼らは人類史上最大の効果的な利他主義者です。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location846
「寄付額で言えば」という限定をつけているものの、シンガーが彼らを効果的利他主義者の最も素晴らしい体現者として、倫理的高みに押し上げたいことは確かです。
つまりは、一旦手に入れた富を多く配分した人間が倫理的に上位者というわけであり、富を手に入れるプロセスに関心のないこの態度は、現状を追認するだけの徹底した資本主義者、グローバリストであることを吐露しているに過ぎないと私には思えるのです。
資本主義の矛盾に向き合わないシンガー
実際シンガーは、資本主義を悪いものとは考えておらず、資本主義の問題点を指摘し、改善していくことにはあまり興味がありそうにありません。
いずれにしろ、現代の資本主義経済をすべて捨て去るべきだという人たちは、それよりいい結果を生み出すような経済システムをこれまで一度としてきちんと提示できていません。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location846
しかし、倫理的な問題を扱う哲学者であれば、資本主義システムをどう倫理的に批判し変革すべきかを思考すべきではないでしょうか*5。代替案の提出は他人に預けておいて、いとも簡単に資本主義を追認するのが倫理的な姿勢と言えるのでしょうか。それとも、哲学者であれば、自分の手に負える問題だけを切り離して論じる権利を持っているのでしょうか。
シンガーの功利主義が行き着く先
害の起きる確率を上げる行動だけが悪である
シンガーが唱える効果的利他主義を支る功利主義には、その基礎に次のような考えがあります。
害に加担する行動とは、その害の起きる確率を上げる行動でなければなりません。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location882
「害を与えてはいけない」ということが大切なのではなく、結果において害が起きる確率を上げる行為が倫理的に良くない行為だと言うことです。
これを説明するために、川を汚染する鉱山の資金調達に関わる投資銀行の仕事の例が挙げられています。
あなたがその職を断っても、資金調達がなくなるわけではありません。ですが、その仕事に就かなければ、社会をよくする活動への寄付もそれほどできなくなりますし、鉱山会社の略奪行為に対抗する力を弱者に与えるようなチャリティを助けることもできないかもしれません。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location893
シンガーにとっては、公害を垂れ流す企業の資金調達を担当する投資銀行の仕事に就くことは、倫理的には問題ありません。もしそこで稼いだ金をチャリティにまわすなら、むしろ倫理的に価値の高いことになってしまうのです。シンガーはこれを認めなければ次のようになってしまう、として強い不満を示します。
一部の人に害を与えるかもしれない金融行為に関わることは、それがはるかに多くの人に恩恵をもたらすとしても、おそらく間違っていることになってしまいます。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location882
敗北の倫理と虚空を漂う理性
厳しい現実に対し倫理は敗北する
しかし、本当にこのような考えに賛成する人がいるのでしょうか。
シンガーが、この投資銀行に就職することを倫理的に問題視しないのは、自分がその職に就かなくても他の人間が必ずその職に就くのだから、害の生じる確率は上げていないという理由です。
しかし、この考え方に従えば、例えば他の犯罪者が犯罪を犯すことが明らかであれば、自分がそれを行っても何ら責められないことになってしまいます。
例えば、誰かが今夜強盗殺人犯に殺されて財産を奪われることが確実ならば、その犯人の代わりに自分が強盗殺人を犯しても構わないのでしょうか。その上、シンガーによれば、奪った金の一部を誰かを救うために使うなら、それは倫理的にプラスの行為と評価されることになります。なぜなら、強盗殺人は起こることが確実なのだから自分が手を下しても世界における倫理的価値の増減はない一方、奪った金で「よいこと」をするなら倫理的価値は増えるからです。
このような結論は、我々の常識的な感覚からずれているように思えますが、シンガーはきっとこう言うでしょう。それは理性を十分に働かせていないからだと。情緒的感覚を優先させているからだと。しかし、私は理性的に考えてもこのような考えには重大な欠陥があると思います。
それは、強盗殺人犯人によって人が殺され財産が奪われること、投資銀行が公害企業の資金調達を行うこと、これらの「わるいこと」は回避できない前提事実とされているということです。ある犯人によって強盗殺人が起きることが確実であることがわかっているとき、その強盗殺人犯の行為をやめさせたり、被害者を逃がしたりすることをまず考えるのが当然ではないでしょうか。公害企業の資金調達についても、その企業が公害被害をもたらすことを証明し、そのような企業が資金調達を行えないようにする方法を考えるのがまず最初に行うべきことではないのでしょうか。
確かに、世界にはどんなに努力しても防げない「わるいこと」をあるでしょう。想像を絶するような天変地異、例えば巨大隕石の落下などは、人知を尽くしても防ぐことができないかも知れません。しかし、公害企業の資金調達を防いで公害を防止することは、困難はあるにしても不可能で絶対に防ぐことのできないことだと言い切れるでしょうか。
シンガーのこのような態度は、私にとっては敗北主義的な倫理であるように見えます。倫理的に許されないようなことが起きるとしても、それを防ぐことに多大な困難が伴う事柄については、最初から取り合わずそれを防ごうとしない。困難であるだけなのに「防ぎようがない」といった態度です。そして「防ぎようがない」事柄であれば、自分がそれに加担したとしても、「わるいこと」は増えないのだから倫理的には構わない。そして倫理的に問われるのは、その「わるいこと」に加担して得た利益をどう使うかだけ、というわけです。
このような態度が、上に見た資本主義への徹底的な肯定に繋がっているのです。資本主義やグローバリズムは確かに不幸を生んでいることは、シンガー自身も認めています。しかし、シンガーにとってそれは防ぎようがないことであり、自分がそれに加担しなくても誰かが同じように不幸を生むはずのものです。だから、自分自身がグローバリストとして不幸を生んでも何の問題はない。問題は稼いだ金の使い道だけだと。しかし、資本主義やグローバリズムの持つ問題は、本当に「防ぎようがない」ことなのでしょうか。必ず起こる「わるいこと」なのでしょうか。だとすれば、世界はどうやって進歩していくのでしょう。
資本主義やグローバリズムの持つ問題を解決したいと考える人々はいます。それには様々な立場もあるでしょうが、もしこれらが不幸を生みだすこと自体に焦点を当てるなら、これらの人々と倫理的に連帯することをシンガーが考えても不思議ではないはずです。しかし、シンガーはそうはしません*6。誰かが悪事に手を染めることがわかっている時、その誰かが悪事につかないようにするために自分が努力するということは考慮されません*7。そんなことは出来ないと決めつけた上で、「よいこと」をする予定の人間が進んで悪事に手を染め、悪事によって利益を配分することが倫理的に正しいのだと主張しているのです。
金こそがパワー
そして、シンガーは「よいこと」を金に置き換えて考えます。資本主義やグローバリズムの問題を解決しようとする態度はお金に換算することが難しいでしょうし、それが効果を発揮するまではお金で計算すればそれはゼロかも知れません。しかし、倫理的な価値はお金だけで換算できるものではありません。私は、1人の人を殺すことは何円、強制収容所でユダヤ人に囚人を死に追いやる行為は何円、公害企業に積極的に手を貸す行為は何円、と言うことはできないと思います。しかし、シンガーはお金に換算できると主張しているのです。それは、単なる功利計算をするための手段でしょうか。
シンガーの態度は、私には、金が問題を解決するのだ、金こそがパワーだ、と言っているに過ぎないように見えます。ですから、シンガーによれば、金をたくさん配れば倫理的な免罪符をたくさん買えることになるのです。多く配る者こそ倫理的に高いのであり、多く配れば自分のした「わるいこと」は帳消しにしてお釣りがくるというわけです。
とすれば、巨額の資金を慈善活動に拠出しているビル・ゲイツ氏は、気が遠くなるような人数の人間を殺したとしても、倫理的にはプラスの位置に居続けることができるでしょう。
理性の源泉はどこにあるのか
先ほども挙げた次の記述ですが、シンガーの理性に対する考え方が象徴されているように思えます。公害を垂れ流す鉱山会社の資金調達を行う金融会社の仕事に就くべきかどうかについての記述です。
あなたがその職を断っても、資金調達がなくなるわけではありません。ですが、その仕事に就かなければ、社会をよくする活動への寄付もそれほどできなくなりますし、鉱山会社の略奪行為に対抗する力を弱者に与えるようなチャリティを助けることもできないかもしれません。
ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location893
シンガーは、鉱山会社の資金調達をする金融会社に勤めたとしても、そこで儲けた金を鉱山会社に対抗するために使えばそれは倫理的に優れた行為だと言っています。これが敗北した倫理の論理ではないかというのは先に述べた通りですが、もう一つ私が問題にしたい点があります。自らが仕事として資金調達に関与した鉱山会社が生み出す害に対し、本当に対抗する気になれるのかという問題です。
シンガーの考える効果的利他主義者は、理性的に優れた人々です。理性の力によって何が「よいこと」なのかを理解し、しかも「たくさんのよいこと」をしようとする人々です。しかし、この人々の理性の源泉はどこにあるのでしょうか。彼らの理性には、例えばその人の置かれた社会的な立場と無関係に存在しうるのでしょうか。
理性とは精神の働きであり、人の精神は人の物理的基礎から独立して存在することはできません。脳のないところに精神は存在せず、理性もありえません。これは重度の知的障害者の生命の価値を動物の価値よりも低く置くことも認めうるシンガーからすれば簡単に同意できることでしょう(私はシンガーのそのような価値判断を嫌悪しますが)。そして、脳だけではなく他の肉体的な基礎や、置かれた環境、社会的地位など、様々な外部的な刺激の総体との関係によって、人間の精神の働きは行われます。つまり、精神は、精神の外にある外部環境と完全に独立には存在しえないはずです。
そう考えれば、何が「よいこと」なのかを判断する理性も、例えばその人の就く職業、社会的地位、貧富等によって左右されるはずです(もちろん完全な決定論に立つ必要はないでしょうが)。私は、金持ちは金持ちの利益しか、貧乏人は貧乏人の利益しか考えない、と単純化するつもりではありません。ただ、理性の源泉は人間の肉体的基礎や、社会的な環境にあるのであって、宙に浮いている理性を突然捕まえたり、空から降ってくるものではないということが言いたいのです。
にもかかわらず、いとも簡単に、公害企業の資金調達をする金融会社に勤めて金を儲け、その金を公害被害に対抗するために使おう、と言ってのけるシンガーは、あまりにも理性の源泉に無頓着すぎると感じます。公害企業に協力しつつ公害企業を叩くという行為が存在する可能性がゼロだとまでは言いませんが、その針の穴を通るための理性はどうやって獲得されるのでしょう。
いったい、シンガーの理性はどこから来るのでしょうか。私には、虚空の世界からふってわいたものにしか感じられません。
シンガーは何よりも理性を重視しています。しかしここにきて、私はシンガーのいう「理性」に強い疑念を感じるに至りました。この問題については、次回詳しく書いてみたいと思います。
まとめ
今回は、効果的利他主義者は自らが生む不幸に無頓着であること、効果的利他主義が現状の社会システムの根幹には無批判で徹底して現状肯定していること、その倫理的基礎はいとも簡単に悪を正当化する論理を持っていること、などを見てきました。
その中で私は、効果的利他主義が最も重視する「理性」そのものについて、強い疑念も抱くようになりました。次回は、この「理性」の問題について、効果的利他主義を見ていきたいと思います。
連載内の記事は以下にあります。
トランプ政権との関係はこちら。
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*1:内心の動機など確かめようもありませんが、ここでは本人の言葉をそのまま信用します。
*2:尚、マット・ウェイジ氏のように「与えるために稼ぐ」という態度に対しての批判として、シンガーはニューヨークタイムズのコラムニストであるデイビッド・ブルックスの主張を取り上げています。ブルックスの批判は、このような行為には熱意の維持ができにくいこと、具体的で身近な人間への愛につながらないこと、チャリティのためであっても金儲けのためだけに仕事をすることは自分を蝕むというような内容です。 しかし、この批判が当を得ているとは言えません。「利他主義」をいかに実現するかの場面において行為者が「利他主義」を維持できないことを問題にしても水掛け論になるだけです。真の問題は、「利他主義」を標榜して行われる行為が決して「利他主義」ではなく、他を害する可能性なのです。
*3:シンガーは、イギリスの哲学者バーナード・ウィリアムズの功利主義への批判も取り上げています。功利主義に従うことを強いられることでその行為者は人としての尊厳を踏みにじることになる、というものです。しかし、これもブルックスの批判と同じ(シンガーもそう指摘しています)で「利他主義」が問題となっている場面では大きな意味を持ちません。それにしても、否定しやすい批判だけを取り上げているように感じてしまうのは、私の心が汚れているのでしょうか。
*4:もちろん、上の問いには「他の地域よりも高い給料」という形で良き経営者が想定されています。しかし、経営者と労働者の間で、その給料が倫理的に正当な額であるかどうかについては問題にはなりません。
*5:資本主義を否定する必要はなく、それをいかに修正していくか、という態度だけでも十分足りる。
*6:もちろん、シンガーが資本主義やグローバリズムの問題点は認めつつも、大きな問題ではないと考えているということもあるでしょう。先に見たように格差が拡大しても貧困層の暮らしが横ばいであれば「わるいこと」は増えていないという立場ですから。
*7:シンガーも規則功利主義に触れて「わるいこと」が起きないようにする考え方に触れてはいますが、それを紹介しているに過ぎません。私は功利主義者ではなく、また功利主義自体を批判することが目的ではないので、ここでは深入りしません。