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しごうするのか、されるのか。

規制で死ぬのはヘイトスピーチか、それとも表現の自由か? | 闘う民主主義と言論の自由市場について

最近は表現の自由に関わるような話題が多い。このブログでもそれに関連する記事を相次いで書いている。

中でも、どう考えれば良いのか難しい問題がある。ヘイトスピーチ規制に関する問題である。これに関しては、ヘイトスピーチの攻撃対象となっている人々からはもちろん、ヘイトスピーチの被害者に寄り添う立場から、表現の自由を守る立場から、あるいはその両者を調整する立場から、また逆にヘイトスピーチを実際に行う主体から、様々な意見が述べられている。

これに関し、最近ヘイトスピーチ規制に関して、注目すべき動きが2つ見られたので、これらに関連して記事にしてみたいと思う。【★長文注意。また内容に齟齬の生じない範囲で後日加筆訂正する可能性がある。 *1

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Photo credit: Tony Fischer Photography via Visualhunt.com / CC BY

ヘイトスピーチの定義 *2

ヘイトスピーチの定義については様々あるが、今回は近時(2016.1.18)大阪市で公布された全国初のヘイトスピーチ規制条例「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」の定義を材料とし、当座次の定義としておく。

  1. 人種もしくは民族にかかる特定の属性を有する個人又は当該個人により構成される集団について
  2. これを社会から排除し、またその権利又は自由を制限し、これらに対する憎悪もしくは差別の意識又は暴力を煽ることを目的とし、
  3. これらを相当程度侮蔑し又は誹謗中傷する、またはこれらに脅威を感じさせる表現活動であって
  4. 不特定多数の者がこの表現内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるもの

大阪市の条例では下記のように規定しているので一応引用しておく。条例では、下記引用以降に表現活動の方法等(インターネット上での活動)についても規定されているがここでは省略している。

第2条 この条例において「ヘイトスピーチ」とは、次に掲げる要件のいずれにも該当する表現活動をいう。
(1) 次のいずれかを目的として行われるものであること(ウについては、当該目的が明らかに認められるものであること)
 ア 人種若しくは民族に係る特定の属性を有する個人又は当該個人により構成される集団(以下「特定人等」という。)を社会から排除すること
 イ 特定人等の権利又は自由を制限すること
 ウ 特定人等に対する憎悪若しくは差別の意識又は暴力をあおること
(2) 表現の内容又は表現活動の態様が次のいずれかに該当すること
 ア 特定人等を相当程度侮蔑し又は誹謗中傷するものであること
 イ 特定人等(当該特定人等が集団であるときは、当該集団に属する個人の相当数)に脅威を感じさせるものであること
(3) 不特定多数の者が表現の内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるものであること

大阪市:「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」の運用について (…>人権>みんなの人権)

ヘイトスピーチの定義については各種あり、例えばWikipediaでは、

人種、国籍、宗教、性的指向、性別、障害などに基づいて個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱し、さらには他人をそのように煽動する言論等を指す。

ヘイトスピーチ - Wikipedia

と、より広い定義となっている。ヘイトスピーチへの問題意識のありようによっては、あらゆる種類のものを問題にすべきであろうが、今回は近い将来起こりうる規制との関係で検討するため、大阪市条例が採用するような狭い定義で話を進めることとする。

現行法での対処

ヘイトスピーチに対する規制については、現行法での対処に限界がある、という前提がある。

まず、特定の個人や団体などを特定して、その名誉を棄損したり侮辱すれば、刑法上の名誉棄損罪や侮辱罪が成立し、またその業務を妨害すれば威力業務妨害罪が成立する。具体的な損害が発生すれば民法上の不法行為損害賠償責任も生じる *3 *4 *5

実際、京都朝鮮学校公園占用抗議事件においては、刑法上の威力業務妨害罪・侮辱罪、民法上の不法行為損害賠償責任が認められ、判決は確定されている *6

ヘイトスピーチの中にはこのように犯罪行為や不法行為に該当するものもあり、特に刑法上の犯罪に対する対処については、取締当局の消極姿勢が厳しく問われるべき場面もある。

しかし例えば「在日朝鮮人」など、個人を特定しない形での表現活動については、刑法上の名誉棄損罪や侮辱罪も民法上の不法行為責任も成立しない。これが現行法での対処の限界と言われる部分である。

許されないヘイトスピーチ。「許されない」の意味とは。

上記のように現行法では対処できないヘイトスピーチについても、許すべきではないと考える人は多いであろう。

私自身はヘイトスピーチと呼ばれているものを全く認めることができない。それが私以外の個人や集団に向けられるものだとしても、また私が直接見聞する機会がないとしても、ヘイトスピーチがこの社会で大手を振っていることには我慢がならない。つまりヘイトスピーチは許されないものだと考えている。

ただ、「許されない」ということに意味については、真剣に考えなければならないと思っている。この問題については、自分が「許されない」と考えるからといって、直ちに規制を認め得るかどうかについては十分に考えなければならないポイントがある。

それはもちろん、表現の自由との関係である。

注目すべき2つの動き

大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例

大阪市は2016年1月18日、全国初のヘイトスピーチ規制条例「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」を公布・施行 *7した。1月15日、大阪市議会において、自民党会派を除く賛成多数によって可決されたものである。先の定義の項で引用したものなので、この条例におけるヘイトスピーチの定義はそちらを見て頂きたい。

参照:大阪市:「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」の運用について (…>人権>みんなの人権)

この条例の概要・特徴は下記の通り。

  1. 市長はヘイトスピーチの拡散防止措置を行うことができる。
  2. 市長はヘイトスピーチの内容、拡散防止措置の内容、ヘイトスピーチを行った者の氏名・名称を公表する。
  3. 措置を行うべきヘイトスピーチか否かについては、市長の任命する委員5名で構成する審査会の意見を事前に聴取する。
  4. 審査会ではヘイトスピーチとされる表現活動を行った者からの意見・証拠の提出の機会を与えなければならない。
  5. ヘイトスピーチにはインターネットでの画像・動画等の公開も含まれる。
  6. 大阪市内で行ったヘイトスピーチでなくても、大阪市民・大阪市内通学・通勤者に関するものであると明らかに認められるものは規制対象とする。

ヘイトスピーチを行うデモ活動を記録した動画のネットでの拡散などにも対応し、また市外の表現活動についても問題にしうるという点など、注目すべき部分はあり、一方、審査会の構成等に疑問を感る部分もあるが、ここでは立ち入らない。

この条例は、ヘイトスピーチ自体を直接止めさせる権限を市長に与えるものではない。もちろん、日本国憲法の保障する表現の自由に配慮してのことだ。市長が拡散防止措置を行ったり、氏名・名称の公表を行うことで間接的にヘイトスピーチ自体の抑止やその拡散防止の効果を狙っている。

法務省のヘイトスピーチ動画削除要請

2016年2月14日の報道で、複数のサイト管理者に対して法務省がヘイトスピーチ動画の削除を要請し、一部がそれに応じていたことがわかった。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016021402000125.htmlwww.tokyo-np.co.jp

これも、被害者側の申立による「要請」で強制力はない。強制力を持つ「命令」等となれば、憲法21条に反する可能性が高いからだ。

強制ではないが…

さて、上記の2つの事例は、日本国憲法21条が保障する表現の自由に配慮しながら、ヘイトスピーチの拡散を抑止しようとするものである。いずれもヘイトスピーチを直接止めさせたり、その表現自体を排除したりする強制力を持たない点で、違憲の立法(条例制定)や行政処分となることを回避している。

しかし、このような方法であれば、表現の自由との関係でまったく問題が生じないかという点には疑問は残る。いずれも行政権による表現内容に対する規制であり、氏名・名称の公表を通じて与えられるプレッシャーや、国の行政機関からの要請というものが、事実上の強制的色彩がないと言い切れるかは議論が分かれるのではないだろうか。

いずれの取り組みも表現の自由に配慮しながら、現実のヘイトスピーチ被害をなんとか抑止しようという姿勢は評価できる。だとしても、本当の意味で自由意思に基づいて表現活動を続けるか止めるかを選択できる状態なのかは、やはり問われるのできなのではないだろうか。 *8

闘う民主主義

ヘイトスピーチ規制と表現の自由の問題をどう考えるかについては、「闘う民主主義」という考え方についてどのような態度をとるのかが関係する。

闘う民主主義とは、簡単に言うと、「自由や権利の普遍的価値を認めつつも民主主義を否定する自由や権利までは認めない」とする民主主義である。言い換えれば、「自由の敵に自由は認めない」という考え方だ。

ドイツ

ドイツが闘う民主主義の考え方を採用していることは有名である。ドイツでは、ナチによる憲法の実質的破壊が憲法の保障する民主的手続を利用されたという経験から、ファシズム体制への反省を背景にこの考え方が採られた。

この闘う民主主義の考え方の下、ドイツでは国民に憲法への忠誠を義務付け憲法秩序に反する団体は禁止され、実際にドイツ共産党等が違憲の団体として非合法化されている。

また、ホロコースト否認論やハーケンクロイツを使用した出版やデモ行進なども違法とされており 、表現や結社について、一定の内容規制が闘う民主主義の考え方を背景に合憲とされている。 *9

人種差別撤廃条約と国連人種差別撤廃委員会からの勧告

1965年に国連総会において採択され、日本も1995年に加入した人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約)において、ヘイトスピーチに関連する条項として以下のものが規定されている。

第4条
 締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。
(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。
(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。
(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

International Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination(外務省HP)※下線は筆者

この条項は、この条約の締結国に、ヘイトスピーチを違法として禁止し、それへの参加を犯罪とすべきだとしている。

また、2014年には国連人種差別撤廃委員会から日本に対し「締約国の法制が条約第4条の全ての規定を完全に遵守していないことを懸念する」として、ヘイトスピーチ規制を行うよう勧告した。長いが引用する。

委員会は,締約国に対し,条約第1条及び第2条に従って,人種差別の被害者が適切な法的救済を追求することを可能にする,直接的及び間接的双方において人種差別を禁止する特別かつ包括的な法を採択することを促す

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000060749.pdf(外務省HP(仮訳)日本の第7回・第8回・第9回定期報告に関する最終見解(確定版)【注】PDFへのリンク)※下線は筆者。

このように法的規制を要求し、さらに具体的に下記のように勧告している。

11.委員会は,締約国内において,外国人やマイノリティ,とりわけ韓国・朝鮮人に対し,人種差別的デモ・集会を行う右翼運動や団体により,差し迫った暴力の扇動を含むヘイトスピーチが広がっているという報告を懸念する。ま た,委員会は公人や政治家による発言がヘイトスピーチや憎悪の扇動になっているという報告にも懸念する。委員会は,ヘイトスピーチの広がりや,デモ・集会やインターネットを含むメディアにおける人種差別的暴力と憎悪の扇動の 広がりについても懸念する。さらに,委員会は,これらの行動が必ずしも適切に捜査及び起訴されていないことを懸念する(第4条)。

人種差別的ヘイトスピーチへの対処に関する一般的勧告35(2013年)を想起し,委員会は,人種差別的スピーチを監視し対処する措置は,抗議の表現を奪う口実として使われるべきではないことを想起する。しかしながら,委員 会は,締約国に人種差別的ヘイトスピーチやヘイトクライムから保護する必要のある社会的弱者の権利を擁護する重要性を喚起する。それゆえ,委員会は,締約国に以下の適切な措置をとるよう勧告する。

(a) 憎悪及び人種差別の表明,デモ・集会における人種差別的暴力及び憎悪の扇動にしっかりと対処すること。
(b) インターネットを含むメディアにおいて,ヘイトスピーチに対処する適切な措置をとること。
(c) そのような行動について責任ある個人や団体を捜査し,必要な場合には,起訴すること。
(d) ヘイトスピーチを広めたり,憎悪を扇動した公人や政治家に対して適切な制裁措置をとることを追求すること
(e) 人種差別につながる偏見に対処し,また国家間及び人種的あるいは民族的団体間の理解,寛容,友情を促進するため,人種差別的ヘイトスピーチの原因に対処し,教授法,教育,文化及び情報に関する措置を強化すること。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000060749.pdf(外務省HP(仮訳)日本の第7回・第8回・第9回定期報告に関する最終見解(確定版)
【注】PDFへのリンク ※下線・太字は筆者。)

これら一連の国連によるヘイトスピーチ対処に対する考え方は、1948年の国連総会で採択された世界人権宣言に根源を有している。

第三十条
この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。

世界人権宣言(仮訳文)(外務省HP)

この世界人権宣言第30条は、「この宣言自体が掲げる権利・自由を破壊する権利や自由は認めない」と明言している。これは「闘う民主主義」の考え方と同様のものである。

国連は一貫して「闘う民主主義」の考え方に基づいて宣言・条約を規定し、勧告を行ってきている。このような立場を是とする国家や国連の立場からすれば、日本においてヘイトスピーチに対する法規制がなされないことは理解できないものに違いない。

日本国憲法と闘う民主主義

一方、日本国憲法に「闘う民主主義」をうかがわせる規定はない。

最重要の価値として置く個人の尊厳(13条)についても、その個人がどうあるべきかについて想定はなされていない。また、第99条に規定する憲法尊重擁護義務についても、その主体には「国民」の名はない。これは、国民の価値観が多様であることを認め、敢えて国民を憲法擁護尊重義務を負う主体から外しているのである。これらは徹底した価値相対主義の表れである。ドイツにおける国民の憲法への忠誠と比較するとよくわかる。

つまり、日本国憲法は闘う民主主義を採用しないことを明言している。日本国憲法は「民主主義の敵」にも「味方」にも等しく人権を保障することを宣言しているのである。

とすれば、人種差別撤廃条約やそれに基づく国連人種差別撤廃委員会からの勧告、ひいては世界人権宣言と、日本国憲法との間には、決定的な齟齬があるように思える。

規制法は必要なのか

闘う民主主義か、価値相対主義か

これらを前提としつつ、国連が求めるヘイトスピーチ規制の要請に応えることについて、どう考えるべきだろうか。また、現実にヘイトスピーチの被害に会い規制を求める切実な声に応えるため、ヘイトスピーチの表現内容に着目した法的規制を行うことの是非をどう考えるべきだろうか。

これについては例えば日弁連の中にも多様な意見があることがうかがわれる。

www.bengo4.com

非常に悩ましい話ではある。現にヘイトスピーチが跋扈し、被害を受けている人たちがいる以上、これを放置してよいわけはない。しかし、「闘う民主主義」に立つのか、「徹底した価値相対主義」に立つのかは、非常に重要な問題だと思う。自由の敵には自由を認めないのか、それとも自由の敵にも自由を認めるのか。

日本国憲法が「自由の敵にも自由を与える」考え方をとっているからこそ、例えば戦前の軍国主義を美化するような言説・表現も規制されることはないし、諸外国では禁止されてしまうような政治団体・結社も法的に禁止されることはない。日本国憲法が「民主主義の敵」は誰なのかを認定しようとしないからこそ、ヘイトスピーチも、革命を目指す言説や結社も、法的な意味では禁止されることはない。

自分が民主主義者で極端な思想を有しないと自認する人々にとって、日本国憲法の態度が与える恩恵を実感することは少ないかも知れない。しかし、「法的に」いいかえれば「権力的に」誰が社会の敵なのかを認定できるとすれば、例えば単純に「政権の敵」が「民主主義の敵」と認定される可能性はいつでもある *10

強制的効果を有する表現内容規制を導入するかどうかは、日本国憲法が維持してきた態度を変更するかどうかの問題である。しかも、この態度は日本国憲法を支える根本思想に関わる部分である。これを変えるなら本来憲法を改正する必要がある。

ここでは憲法改正の問題には突っ込まないことにしても *11、我々が支持すべき価値観として「闘う民主主義」を選ぶのか、従来の憲法の「価値相対主義」を選ぶのか、はっきりさせなければならない。

規制を望んでいるのは誰か

ここで私見を述ておく。ヘイトスピーチに対しての罰則や強制的に停止するような権限を設けるような新たな特別な立法を行うべきではない、というのが私の考えである。それはやはり、日本国憲法が謳う価値相対主義を支持するからである。他国の闘う民主主義を批判するつもりはない。しかし国連の勧告にもかかわらず、わが国はわが国独自の向き合い方でヘイトスピーチの問題に取り組むべきではないかと考えている。

ただしそれは、現行憲法を前提とした法論理的な結論だけを根拠としているわけではない *12。言わば、より政治的な理由によるものである

国連からの勧告にもかかわらず、日本政府のヘイトスピーチ規制への取り組みは極めて及び腰な状態が続いている。その真意が、日本国憲法の表現の自由を尊重する立場から来るものだとは正直思えず、むしろ政権がヘイトスピーチに親和性を有しているからなのではないかという疑いすらある。とはいえ、国際社会からの視線が全く気にならないわけではないだろうし、だからこそ与党内部にもヘイトスピーチを議題にするプロジェクトチームが作られたりするのだろう。

しかしその内容は、国民が問題にしているヘイトスピーチを真剣に取り上げるものと言うよりも、これに仮託して他の表現についての規制を目論むものであったりする。 *13

www.huffingtonpost.jp

ヘイトスピーチ対策の話し合いで国会周辺のデモへの規制に言及した高市氏は、その後発言を事実上撤回した。しかし撤回したとしても発言した事実は残るしそこから本音を推測することも可能だろう。国民が求めているのも、国連が要請しているのも、ヘイトスピーチへの対応であり国会周辺のデモについてなど全く話題にしていない。にもかかわらずこれに触れるのは、これを規制したいという欲望の表れだと言える。つまり、ヘイトスピーチに対する態度はともかく、他の表現を規制したいという意欲はあるということだ。

表現内容に対する法的規制はすなわち、権力が表現内容に介入することを認めることである。であれば、政治的な意味では、具体的権力がどのようなものかも十分考えて議論を進めなければならない。抽象的な国家権力を想定するだけではあまりにも不十分だ。

とすれば、これまでにないほどに政権が表現規制に熱心である中で、憲法の掲げる価値相対主義を押しやり「闘う民主主義」的な法規制を認めることは、あまりにも危険なことではないだろうか。どんなに厳密な法整備を行い、厳格な運用を求めたところで、それが絵に描いた餅になる懸念は否定できない。

ヘイトスピーチ対策に積極的でなく、むしろ親和性の高ささえうかがえる者が「ヘイトスピーチ規制」に乗り出すとき、ヘイトスピーチ以外の表現が無事でいられるとは思えない。彼らは、ヘイトスピーチの規制を望んでいるのではなく、より広い表現規制を望んでいるのは明らかである。それは以前の記事でも書いたことである。

www.shigo45.com

現実のヘイトスピーチ被害について

現行法の枠内での徹底対処

ヘイトスピーチを憎み、ヘイトスピーチの被害を現実に受け、またこれ寄り添い、重視する人たちの中には、ヘイトスピーチの法的規制を待ち望む人も多数いるだろう。その想いは理解しているつもりである *14

しかし、ヘイトスピーチに対する特別の立法を持って強制力のある表現内容規制を行うべきでないという考えは先ほど述べた。だからといってヘイトスピーチ被害を放置して良いはずはない。

これについては、日弁連の意見書が参考になる(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2015/opinion_150507_2.pdf 【PDFへのリンク】)

ここに書かれているように、例えばヘイトスピーチが行われたこと自体が違法性や責任を加重する事情とすることが検討されるべきだと思う。民法上の不法行為責任における慰謝料の大幅増額や、威力業務妨害罪における刑罰の加重である。これ自体も厳密には表現内容に着目した不利益認定ではあるが、違法行為が行われていることが前提となっているので許容できる範囲ではないかと思う。

また、ヘイトスピーチデモの行われる場所についての規制もある程度積極的に行われるべきである。ヘイトスピーチの対象となるような人々の学校や居住地区周辺でのデモ禁止は、表現内容ではなく表現態様の規制であり許容できると思う。

さらにヘイトスピーチ被害救済として、訴訟支援制度 *15を創設したり、訴訟当事者適格を人権保護団体に与えることで、被害者の訴訟負担や二次被害を防止し、より積極的な訴訟による被害の救済やヘイトスピーチ主体の追い込みを行うべきである。

言論の自由市場

「民主主義の敵」にも自由を認め、言論の自由市場を享受するなら、誰かの行った表現活動によって被害を受ける人々に無関心でいて良いわけはない。市場原理によってヘイトスピーチが淘汰されるということを不断に証明し続けなければならない

ヘイトスピーチを憎むのなら、ヘイトスピーチと対峙しなければならない。ヘイトスピーチが表現の自由の恩恵を受けているのなら、ヘイトスピーチを根絶したいと考える側はそれ以上に表現の自由を駆使しなければならない。ヘイトスピーチを振りまくことに加担する出版社やインターネットにおけるプラットフォーム提供会社などには、抗議の声を上げなければならない *16

そして、彼らを退場させるのは、これら自由な言論の集合体によってである。自由の敵にも自由を認めた上で、自由を存分に行使して闘って勝たなければならない。一方、公権力の直接の介入を求めれば、最終的に退場させられるのが誰になるのかについて保証はないのである。


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*1:私は法律の専門家ではないので後日法的におかしい部分があれば訂正する。

*2:本稿のテーマからすると、広義の定義をとるか狭義の定義をとるか、またその詳細の定義付けについては、あまり触れる必要はないのだが、あまりに曖昧なままだと気持ち悪いので一応画定しただけである。

*3:ヘイトスピーチによって生じる法益侵害に対し、警察当局の取締り姿勢が消極的であるという意見もある。親告罪ではない威力業務妨害罪の成立が裁判によって確定した京都朝鮮学校公園占用抗議事件においても、刑事事件化したのは、京都朝鮮第一初級学校からの刑事告訴によってである。

*4:例えば、特定組織の建物前などで行われるヘイトスピーチの中には、脅迫罪や強要罪などの犯罪を構成するようなものも多くあるはずだが、当局がこれらを検挙したという話は聞いたことがない。

*5:民法上の責任を追及するには被害者側から訴訟を提起する必要がありその負担は大きい。

*6:京都朝鮮学校公園占用抗議事件 - Wikipedia 個別の判例を挙げたがったが煩雑で手に負えなかった…

*7:但し一部条項については市長が施行期日を定めることとなっている。

*8:当然、一定の効果があるからこそこれらの規制・要請を行う意味があるのだから、「意に反して」表現活動を止めることが皆無だとは想定していないだろう。尚、法的強制力がない対処によっては、確信犯的な団体によるヘイトスピーチに対しては効果がないのではないかという別の問題もある。

*9:だからといってドイツにネオナチが存在しないとか、その活動が見られないという訳ではないというのは、ご存知の通りである。

*10:もちろん仮に立法されるとしても要件の厳格化は行われるだろう。しかしいつでも拡大解釈の懸念は残る。

*11:ここに触れると十分長すぎるこのエントリーがより長くなってしまう

*12:尚、表現内容規制についてはどこまでいってもその規制範囲が明確でなく濫用の危険性や表現の萎縮効果等の問題もある。

*13:より明確なソースへのリンクをはりたかったが、既にページが削除されているものがほとんどであった。少し古い記事だが、放送法に関する記事に登場した人がここでも登場していたので例として挙げた。

*14:もちろん理解が足りない可能性はある。

*15:大阪市の条例の原案では訴訟を支援する文案があったが削除されて可決された。

*16:上に述べた表現規制に関する私の意見に異論を持つ人は多いかも知れないが、このことに異論がある人は少ないのではないだろうか。

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