45 For Trash

しごうするのか、されるのか。

光。完璧な世界。

恐らくどうでもいい駄文になる予定の記事である。思いつくまま書き、推敲せずにアップする予定だ。タイトル名だけ後で考える。

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とあるテーマについて記事を書いていたが考えがまとまらない。色々と時間がなかったこともあるが、考えをうまく言語化できない。それは書いているテーマ自体ではなく、私の頭の中が他のことで混乱しているからである。ずっと抱えている問題が表面化しているからである。いつもの事ではある。

このブログは、テーマを決めず思いついたことをその場その場で書いていこうと考えて始めた。テーマを決めた方が読んでもらえる可能性は高くなりそうだが、それよりも書く自由の方を重視した。社会的な問題に関する発言をしたければそれを、駄話を書きたければそれを、買った商品のことを紹介したければそれをただ書けばよいと考え、実際そうしてきた。

今書こうとしているのは、社会的問題に関わる堅いテーマの記事だ。しかし、今書くべきは本当はそんなことではなく、私の心の中の状態を書くべきなのかも知れない。しかし、何を書いても良いと決めたのに、いつまで経っても自分の心の中を表現することが出来ない。長年心に抱えてきた問題や、哀しみや苦しみ、あるいは愛について、ここで触れることは私には容易ではない。

日々の暮らしの中で自分の深層の心情を吐露する相手は一人としていない。それを聞きたがっている人間がいてもそれは出来ない。長い時間、誰にも心の内を明かさないで暮らすと、こんな場所にさえ気持ちを吐き出すことは容易ではない。

時に心の葛藤や悩みを率直に書いているブログに出くわすことがある。そういうものを読むと、その人にとってブログに書くことは救いになっているのだろうか、などと考える。

「救い」とはなんであろうか。私は宗教を信じない。神の存在も、「あの世」の存在も認めていない。私はそういうものが与えてくれる「救い」とは無縁だ。吐き出せないいくつかの問題が解決されればそれは「救い」となるだろうが、数十年にわたる問題が直ちに解決する兆しはない。少しでも解決可能な問題についてはもちろん解決を望んでいるが、生きている限り解決不可能なことが自明な問題もある。

思えば、私は「救い」を求めてはいないのだろう。ただし、「癒し」のようなものはある。

例えば、その辺に咲いている小さな花をじっと見ている時がある。あるいは、家の傍で騒ぐヒヨドリたちをいつまでも眺めている時もある。また、雀は私の大好きな鳥である。恥ずかしい話、彼らと話しているつもりで時間を過ごすこともある。時には、流れる川の水面の変化の中に感じる一瞬の静止に心を奪われている時もある。

このようなものに接している時、私は自分がこの世界の一部であることを感じる。

仕事で多くの人と接する時、あるいは酒席で騒いでいる時、おそらく私は非常に活き活きとして見えることだろう。しかし、私が自分の「生」を感じるのは、先ほど書いたような自然のものを見つめ、その中に自分が同化しているような感覚にとらわれた時である。

幾多の物質の欠片の緩やかな流れの中に、ほんのわずかな時間、私の身体を形作っている物たちが、いつかまたその流れに戻り、時に何の変哲もない石ころになり、水に磨かれる石となり、あるいは磨く水となり、植物の導管を通り、獣の糞尿となり、誰かの小さな庭の隅に咲く花の一部になる。そんなことを夢想しているとき、私は「癒し」を感じる。

しかしそれによって救われるわけではない。現実の問題はいつまでも私の中にある。そしてその問題と向き合わないわけにはいかない。

一方、「癒し」ではなく、「光」を感じる時がある。

自分の愛する者を見つめる時、時間の流れが止まり、世界は動きを停止し、この瞬間が光に包まれて永遠を見たような気持ちになる時がある。

その世界は「完璧な世界」である。おかしな事だが、それは瞬間が切り取られていると同時に永遠なのである。この光景は私の中に深く刻まれていて、いつでもその光を、その空気や音を、心の中に再現できるのである。

これは「救い」でも「癒し」でもない。ただ私に対してこの「完璧な世界」を静かに受け入れることを求める。これは私が生きている中で感じる感覚の中でも特別なものである。

私はいつも問題と向き合わなければならない。何十年も続いたことである。救いはない。ただ、私はこの光によって生きることを強制されている。光が私を生かしているのだ。

こうやって僅かでも自分の心情を吐露してみる実験である。しかしやはり救いにはならないようだ。消そうと思ったがそのまま掲載する。


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