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45 For Trash

しごうするのか、されるのか。

国会議員の育児休暇を語る前に議員の出欠記録を公開せよ。

政治・社会

基本的に、誰にでも育児のために休業する必要はある。

だから国会議員も育児のために休みたいなら休めばいいと思う。

ただ、そのことが、一般の労働者の権利としての育児休業制度の問題と並べて論じられることには違和感を感じる。

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【記事の要約】

  • 育児休業制度は労働者の権利を保障するもの
  • 休日取得が自由な立場に育児休業制度は不要
  • 国会議員は育児休業を語るなら出欠を公表せよ
  • 何人も育児のために休めばよいが、労働者と国会議員を同列に論じるのはナンセンス

育児休業制度は「労働者」の権利を保障するもの

制度としての育休は、「労働者」の権利である。

労働者は、申し出ることにより、子が1歳に達するまでの間、育児休業をすることができます(一定の範囲の期間雇用者も対象となります)。

法改正により、一定の場合には、子が1歳6か月に達するまで育児休業ができるようになりました。*1

育児・介護休業法のあらまし|厚生労働省

労働者は雇用者の指揮命令の下に勤務し、一定のルールの下で出勤・退勤・休日を取ることになっている。労働者には、自己の裁量で勝手に休日を取ることが許されているわけではなく、もしそのようなことをすれば雇用者は労働者に対して懲戒等を行うことも可能である。

もし、育児休業制度がなければ、労働者が雇用者の許可なく「育児のために1年休みます」などと言えば解雇される可能性すらあり、またそのような申し出を許可する雇用者もそうはいないだろう。

しかし、育児休業制度があることによって、労働者が申し出れば雇用者は育児休業を認めなければならない。それは、労働者の権利である。

経営者の育児のための休業

国会議員の育児のための休業について論じる前に、経営者の育児のための休業について触れなければならない。

繰り返し言うが、誰でも育児のために休業する必要はある。だから経営者も育児のために休業を取りたければ取れば良い。

ただ、経営者の育児のための休業を、労働者の権利としての育児休業と同列に論じることは誤りだと感じる。

確かに、育児のために休業をすること、ひいては子育てをすることそのもの、については、その立場に関わらず人間の基本的な営みであり、家庭生活を尊重するという意味では同じことではある。

しかし、なぜ経営者には育児休業制度はないのだろうか。当事者である経営者の口からは、「制度の存在しない国会議員の育児休業を認めないというなら、我々も育児休業を取れなくなってしまう」という言説が聞かれることがあるが、本当にそうだろうか。

経営者は出退勤についての高度な裁量があり、何を理由として休んだところで懲戒を受ける可能性はない。労務管理を受ける立場ではない経営者は出退勤の記録を取る必要はない。育児のために休暇を取ろうと、ゴルフのために休暇を取ろうと、子供の看病のために休暇を取ろうと、違いはない。経営者には何時に出勤をし、いつ休暇を取るかについて、自由な裁量が与えられているからである。

経営者を拘束するのは、当該事業の業績である。例えば株式会社であれば、株主から業績悪化を理由として首をすげかえられる可能性がある。しかし、いくら休んでいようと、どのような理由で休んでいようと、そのことをもって直接評価されることはなく、業績が好調であり配当を生んでいれば、そのような経営者を株主が首にすることはない。

この点は、労働者と根本的に異なるところである。労働者は、その成果のみならず、出勤するかどうか自体が拘束のもとにあり、評価の対象とされていることが通常である。そのこと自体は当たり前のこととして、ほとんどの就業規則にも載っているであろうし、だからこそ労務管理として出勤管理が行われているのである。出勤状況自体が問われない経営者とはまったく違う。

だからこそ、労働者には制度として、権利として「育児休業制度」が必要なのであり、一方の経営者にそのような権利や制度は必要ない。現状で自由に休暇を取れるからである。そもそも出退勤について自己の裁量でいくらでも融通できる立場の人間に育児休暇を誰かに対して主張しなければならない必要はないのだ。

業績・株主の意向等に鑑みて休暇を取っていられるかどうか自体、経営者の判断である。育児のための休業を取っても業績が悪化しない手だてを取ることも経営者の裁量の範囲であるし、業績悪化を受け入れて会社のオーナー(株主あるいは自分自身のこともある)の不満を買うかの判断も経営者の裁量の範囲内にある。

経営者は、育児のために休みたければ、勝手に休めばいいのである。

国会議員の育休の問題は「権利」の問題ではない。

では、国会議員はどうであろうか。

現状でも国会議員は自分の裁量でいくらでも休める

事前に経営者の話をはさんだのは、この問題に関して国会議員が置かれている状況は、経営者に似ていると思うからである。

現在の国会議員は、いくらでも休める。もちろん、議院運営上の必要から議長に欠席届を出す必要があるが、それ以上に彼らの欠席を抑える制度的な縛りは何もない。

いくら欠席しても歳費は減額されないし、それどころか、出欠の記録を取り公表することさえ行われていない(この話題に触れた時、改めて出欠の記録を探したが、公式・非公式ともに信頼のおけるソースを発見することはできなかった)。

つまり、国会に出席するかどうかは、完全に議員自身の裁量にあると言える。

議員が、国民からの負託に懸命に応えようとして休まず国会に出席するのか、国会で議論に参加するのか、居眠りするのか、スマホをいじっているのか、はたまた全く出席しないのか、については制度的には議員の自由なのである。この点、会社における経営者と似たような立場である。

育児のために休みたければ、勝手に休めば良いのである。

国会への出欠状況への評価は有権者が行うこと

国会議員が休業して一定期間議員活動を行わないことについて評価するのは、彼らを選出した有権者が次の選挙で行うことである。これは、経営者の動向について株主総会が評価・判断することに似ている。

育児のために休業をしたことによって有権者の負託に十分に応えられていない、と判断すれば有権者は次の選挙で彼らを落選させれば良いのであるし、休業していても満足のいく仕事をしていると思えば再び当選させればよい。ただそれだけのことである。

にもかかわらず、話題の国会議員(自民党の宮崎謙介衆議院議員)が「育児のため」と称して欠席届を出すのはなぜだろうか。彼らはいったい誰に対して「育児のために休ませてくれ!」と叫び主張しているのであろうか。

形式的には議長への欠席届であるが、いったいそれは誰に対し「欠席を認めてほしい」という届なのであろうか。議長であろうか。党の幹部や同僚に対してであろうか。それとも有権者に対してであろうか。

国会議員は、自分を選ぶ選挙民たちの意向を無視することはできないし、彼らはそれを意識しているはずである。制度がどうであれ、有権者が気に入らなければ次の選挙で落選させられるだろうし、そうなればもはや国会議員の地位は失われる。今回は、育児休暇を公言することで「プラス」に作用するだろうという計算があるのではと勘ぐることもできるし、どう評価されようと子育てのために休みたいと考えているだけかも知れない。それは現時点ではわからない。

ただ、報道では、現行の衆議院規則には国会議員の育児休暇に関する制度がないので、本会議ごとに欠席届を提出し、一方で衆議院規則改正を訴えていくとのことであった。

違和感を感じるのは、国会議員という仕事が特別だからでもなく、それが会社で言えば大企業にあたる与党議員から出てきた話だからでもない。彼らは現行制度のもとでもいくらでも休めるからである。

もし事実上休めないような拘束があるとすれば(実際にあるかどうかは知らないが)、それは所属する政党内からの風当たりであろう。育児のための休業を各政党が正式に認めるか認めないかは各政党の勝手であるし、政党政治のもとでは、大政党であればこれを与えることは容易かも知れない。一方で零細企業のような小政党であれば、これを与えることは議会活動の死活問題にもなりうる。しかし、正確に言えば各議員にそれを認めるかどうかは彼らを選んだ国民が決めることではないのか。

育児休業を推進するためには、国会議員が率先して「育児のための休業」を取るべきだという言説は良く聞く。しかし、この話のおかしなところは、現状でも彼らが「休む」と言えば、公的には誰もそれを止めることはできないし、公的には彼らに不利益を与えることもできないという事実にある。1ヶ月と言わず一生休んでいたっていい。当選しさえすれば、ずっと休んでいても国会議員である。公的には。

その上、今までに国会議員が有権者に欠席の許可を求めた形跡があっただろうか。いや、そもそも国会への出欠状況を積極的に公開してきたのだろうか。

出欠管理・公表もせず育児休業を語るのか

国会議員が国会にどれくらい出席しているのかは、国民にとって国会議員を評価するひとつの指標になりうるはずである。

長期の休暇が「育児」のためであるのか、地元での地盤固めのためであるのか、ゴルフのためであるのか、不倫旅行のためであるのか、そこまでわかることが好ましいだろうが、そこまではなくても出欠記録があれば、議員活動を監視する材料にはなる。

長期の休暇を取っている場合は、その理由がなんなのか気になるであろうし、調べることもあるであろうし、有権者がそのような行動をとるとなれば、国会議員側も長期休暇の理由を公にするであろう。

材料があれば有権者が判断する。それでいいのである。また、当該国会議員選出の選挙区の有権者に対してだけこれが公開されれば良いわけではない。国会議員は「全国民を代表」するものであり、議員活動の監視・評価は全国民が行い得る必要があるからである。

そのためには、国会議員の出欠状況を正確に記録し開示する必要がある。現在はこのような簡単なことさえ行われていないのである。

出欠管理を誰も行っていない状況で「育児休業」もくそもない。タイムカード等で厳密に出退勤が管理されている労働者と同列に「育児休業」を論じることがナンセンスではないのか。

最後に

何度も繰り返すが、人間であれば、育児のために休暇を取る必要はある。

だから、何人も育児のために休める社会になるべきだ。

しかし、既に自由裁量で休むことが許されている人間が「育児のために休むこと」と、完全な管理の下で明確な期限と減額された給付で行われる「労働者の育児休業」を同列に論じることはできない。

もちろん、育児休業制度が施行されても、労働者の育児休業、特に男性の育児休業取得率はまったく上がらないという現実があり、それは文化的・社会意識的に乗り越えなければいけない障壁が社会に蔓延っていることを示している。そのような要素を排除するために、どのような形であれ「育児のために休むこと」が「良いこと」と扱われることに、何がしかの意味はあるのかもしれない。

労働者の育児休暇取得率が極めて低調な理由は、それによって受ける可能性のある実質的な不利益を回避するためである。それは、あからさまな雇用者からの評価低下であったり、キャリアパスからの脱落であったり、上司・同僚からの風当たりであったり、場合によっては様々なハラスメントレベルのことかも知れない。いずれにせよ権利があってもそれを行使できないのは、そういう不利益に怯えなければならない立場にあるからである。

しかし、国会議員が経営者は何に怯えるというのだろう。彼らが叫ぶ「育児のための休み」は、労働者の「育児休業」とは全く異なる。

自己の裁量で自由に休暇を取れる者と、完全な管理の下で限定的に「育児休業」を取ることが許されている者の間には、大きな隔たりがある。後者にとっての「育児休業」取得は、制度がなければ絶対に取れないものであり、権利保障があるのに容易には取得できない事実上の束縛があり、それは「生活がかかる」状態の中で権利行使しないことを選択せざるを得ないという切迫した状態の中にあるものである。


国会議員が育児のために休むことに反対する理由はない。それは議員本人の裁量・判断で行えばいい。有権者からの評価も計算して行えばよいのである。

ただ、そもそも現状でいつでも自由に休める人間が「育児のため」と称して休暇を取ったからと言って、労働者の「育児休業」の権利行使が活発になるということはないだろう。「議員が率先すれば社会の雰囲気が変わる」と言った言説に同意する気になれないのは、出欠管理もされていない人間の話だからなのだろうと思う。

【2016.2.10追記】
これに関連して後日記事を書きました。

www.shigo45.com


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*1:ちなみに公務員の育児休業は制度上3年まで取れる。

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