45 For Trash

しごうするのか、されるのか。

火星人の英語の授業はネタの宝庫。

英語の授業は楽しい。英語の勉強が好きな訳ではないが、英語の授業は楽しいのである。先生が怖い人であればあるほど楽しいものになるものである。

高校1年生の時の英語の授業はこの要件を十分に満たしていた。

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Photo credit: qthomasbower via Visualhunt.com / CC BY-SA

初授業に現れた教師は「何かあったら厳しく怒るぞ」という匂いを醸し出していた。額から頭頂部にかけての毛髪はまったくない一方で、側頭部から後頭部の毛髪は異様なほど豊かだった。そのせいか顔は横長に見え、最初の印象はベタな火星人だった。しかし、黒縁のビン底眼鏡の奥から発せられる眼光は威圧的で、身体はガッチリしていた。

火星人は、初回の授業で、だらけた姿勢の新入生を一人ひとり正した。「きちんと座れ。」その声は低く威厳に満ちていた。これで「掴み」はOKである。生徒たちはこの授業が「ハズレ」であることを瞬時に理解した。  
 
 
 
 
毎回ではないが、この火星人の授業では時々楽しい出来事が起きる。

ある時、リーディングを当てられたSは、「machine」を「マチネー」と読んだ。緊張した教室でうつむいていた生徒たちが一斉にピクンとなるのがわかる。しかし、火星人は全く表情を変えない。

「違う!」
「マキヌー」
「違う!」
「マキネー」
「違う!」
「マキーーヌ」

正解に至るどころか、徐々に美味しそうに変わっている。「辞書を引いてみろ!」だが発音記号が読めないのだから「マシューン」などちょっとはカッコよくなってしまう。正解まで悪戦苦闘だ。

しかし、生徒たちは想いを巡らせはじめる。「マチネー」=「待ちねえ」=「江戸っ子」である。早く授業が終わって、Sを「えど」などと呼びたいという欲求を抑えきれなくなっている。その後1年近くSのあだ名は「えど」だったり「おかっぴき」だったりした。  
 
 
 
 
またある時は、分厚い唇が特徴的なKが当たった。Kは喋っていると時折「じゅるる」と唾液を吸う癖がある。「この前のあれ、おもしろかったよなー(じゅるる)、今度また行こうぜ(じゅるる)」といった感じだ。意地悪く「お前、いつも、じゅるるってやんのな。」と指摘すると、「そんな音させてねえだろー(じゅるる)」と言うのである。そんな時、Kの分厚い唇はいつも艶めかしく光っているのだった。

Kが提供してくれたのは「business」である。Kによるとその読みは「ブジュニーズ」である。より正確に言えば、

「ぶじゅにゅぅぃーず(じゅるる)」

である。どうもこの発音はより一層唾液の分泌を促進するようだ。

「違う!」

相変わらず表情を変えない火星人なのだが、生徒たちはなぜ火星人はKの唾液が気にならないのか不思議そうである。Kは「ブシネッス」に改める。いや、正確には

「ぶすぅぃねっしぅ(ちゅるる)」

である。たぶん、さっきよりはマシだが、唾液は増えている。

「ブジュニーズ」はその後もより一層デフォルメされ、「ぶぶっじゅにゅゅぃーじゅ(ぶちゅちゅぶるるぶじゅぅ)」のように、意味のないタイミングで頻繁に発せられるようになった。  
 
 
 
 
ある日、女子のOさんに英文和訳が当たった。Oさんは比較的身体が大きかったが、声がとても高かった。髪型や服装は規定から大きく外れているのに、おとなしく、声は虫の音のようだった。

当たったのは「let me see」である。わかるはずがない。みんな予習などしないのだ。Oさんは顔を赤くしてうつむいていた。声を出さない。

火星人は黙っているのが最も嫌いだった。「わからないのか!じゃあ辞書を引くんだろ、辞書を、おい!」という火星人の声が、一層緊張した教室の中に響く。Oさんは慌てて辞書を引くが焦っていてなかなか該当箇所に行かない。その間火星人の怒りが増していくのが手にとるようにわかった。赤くなった顔はもはや火星人ではなく、ただのゆでダコだった。

Oさんは、かぼそく高い声で言った。「はてな?」

まあ、正解と言っていいだろう。文脈上は「ええっと」のように和訳する方が好ましいが、いいじゃないか。

「え?声が小さい、はっきり言え」ゆでダコに促されてOさんは再び「はてな?」とかぼそい声で言う。

「え?」
「はてな?」
「なんだって?」
「はてな?はてな?」

Oさんの声がやっと人並みにクレッシェンドした時、ゆでダコは「はてなぁ???なんだとぉ???辞書を引けと言ってるだろう!なんで引かないんだ!」とこれまでで一番大きな声で怒鳴る。

あれ、誤解されてるぞOさん、いいから別の訳も言ってみろよ、しかしゆでダコも今時本気でわからないときに「はてな?」って言う女子高生がいるとでも思ってるのかよ、などと思いつつ、Oさんと同じ辞書だった俺が確認してみたら、訳の部分には「はてな」としか書いていない。例文の部分まで見ないと…。

ゆでダコはOさんの席まで行って、

「辞書を出せ!辞書あるじゃないか!なんだ引いたのか?うん?ああぁ、うん、まあ、うん、そっか。うん、もういいよ。はてなって書いてあるな」

とすっかりおとなしくなった。

「えっと、辞書にははてなって書いてあるね。Oさんは辞書をちゃんと読んでたんだね。ごめんごめん。この let me seeというのは…」

とすっかり火星人に戻っていった。その時ばかりは、俺も火星人と地球人の友好に想いを馳せた。

休憩時間になると、声を高くしかわいこぶって「はてな?はてな?」というのが流行った。「ねえねえねえ、なんか質問して」「おまえ、今日の帰りなにする?」「はてな?はてな?」  
 
 
 
 
一番印象深かったのは「clean, clear」事件である。

当てられたのは、背が低いが肉がぎゅうぎゅうに詰まった豆タンクのような男子、カタマリというあだ名をつけられていた男子である。カタマリは、日本史の授業があると「鎌足(かまたり)」と呼ばれたり、苗字を「中臣(なかとみ)」に変えられたりしていたので、もう本当の名前は覚えていない。

カタマリにあたったリーディングの一節に、「~ clean, clear blossom ~」というくだりがあった。火星人は、カタマリを当てる前に、「cleanとclearの間にはカンマがあるけど、続けて読むんだぞ」と話していた。

案の定、カタマリは火星人の説明を聞いていなかった。窓の外をぼんやり眺めていたのだった。経験上の予測ではこのタイミングでカタマリが当たるはずがなかったのである。

カタマリは、予想外に当てられた緊張からか、馬鹿丁寧にゆっくりと「クリーン(2秒空ける)クリアー ブラッサム」と読んだ。「違う!もう一回!」火星人の声が飛ぶ。

※以下の↑↓はイントネーションの大まかな方向を示す

「クリーン↑ (2秒空ける) クリア↓ ブラッサ」
「違う!」
「クリーン↓ (2秒空ける) クリア↑ ブラッ」
「違う!!」

根本的な方向が間違っている。絶対に正解に届くはずがないことは誰もがわかっていた。だが、火星人は手を緩めない。

「違うっ!もう一度!」
「↑クリーン↓ (2秒空ける) ↑クリア↓ ブラ」
「違う!!!」
「「↓クリーン↑ (2秒空ける) ↓クリア↑ ブ」
「違う!」
「↑クリ↓ーン↑ (2秒空ける) ↓クリ↑ア↑ 」
「違う!!」
「クリーン (4秒空ける)クリア ブラッサム」(むっちゃ早口)

もう生徒たちは、カタマリがどれだけのパターンを出せるかに強い関心を抱き始めていた。ガンバレ!カタマリ!ありとあらゆるパターンを出してみろ!

結局この攻防は15分近く続き、カタマリが既出のパターンを繰り返しているだけだということに皆が気付き始めた頃には、途中青ざめていたカタマリの顔にも血行が戻っていた。なぜか火星人はいつになく穏やかな顔をしていた。

「もういい、座りなさい。お疲れさま。もういっぺんだけ説明するよ。ここの clean, clearはね…」  
 
 
 
 
俺たちは3年間この火星人に英語を教わった。その間、授業にはいつも変わらず緊張感があった。しかし、1年生の終わり頃には、火星人の部屋は質問におしかける生徒でいっぱいになっていた。火星人はいつも威厳に満ちていて、最後の一人の質問に答え終わるまで、遅い時間になっても変わらぬペースで答えていた。

そして俺たちが卒業するとき、火星人は人目もはばからずボロボロと涙を流していた。

誰よりも真っ赤な顔をしていたが、その顔は地球人の恩師の顔をしていた。


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