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45 For Trash

しごうするのか、されるのか。

トランプ・西野両氏を巡るモヤモヤを読んでさらにモヤモヤ ~話を真ん中にもどす~

政治・社会 トランプ政権

わかりにくい表題ですみません。先ほどこういう記事を読みました。

bylines.news.yahoo.co.jp

筆者の方は、ソーシャルメディアの時代に上手に立ち回るアジテーターが勝ち続けていく状況や、今後の行先にモヤモヤされているようです。

正直、西野氏関連の話題には関心がなく、でも「トランプ」と入っていたので見に行きました。読んでみて、その内容に頷ける部分はあるのですが、読んでいるうちに私の方がなんだかモヤモヤしてしまいました。筆者とシンクロしてなら良いのですが、違うモヤモヤ。

そこで、ちょっと書いてみようと思いますが、まとまらなそうな気がするので気楽にお読みください。

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絵本作家は絵本で評価したい

実は5日ほど前に、話題の絵本『えんとつ町のプペル』の感想、書評を記事として上げています。

www.shigo45.com

西野氏に関心がないとさっき言っていたのになんだ?と言われそうなのですが、無料公開の話題がはてなでホッテントリ入りしていたのでちょっと見に行ったら、無料公開絵本をつい全部読んじゃって、せっかくだから感想でも残しちゃおうか、ちょうどブログのネタになった、ぐらいの気持ちで書いたのです。まあ、話題になってるから、ちょっとぐらいアクセスもあるかもな、なんてスケベ心も正直ありましたけどね*1

しかし一方で、「すごく話題になってるけど結局作品自体はどうなのよ?」という気持ちがあったのも事実。色々騒がしくなっているけど、良い絵本が出てるならそれはそれで良いのじゃないか、と思ったわけです。批判などをチラ見しても「しょうもない絵本出しといて偉そうなこと言うな」みたいな声は見かけなかったので、もしかして作品は良いのかな、なんて思って。

そこには、読み始める前に「そんなに売れてるんなら、作品の中にきっと何か良いものがあるんじゃないだろうか」という期待感が微妙にあって、様々な雑音や売れ行きデータなんかも抜きにして、作品そのものを虚心に見たいという想いがあったわけです。

それで実際読んでみると、私としては結構辛口の評価になりました。

書評の記事ではあまり書かなかったけれど、私としては「そこまで評価できる絵本とも思わないけど、知名度や話題の作り方、無料公開などの商売のやり方とかが奏功して売れてるのかなあ」という風に思ったわけです。「私としては」ですよ。

そこでいったん私のこの絵本への関心は消えました。

もちろん、絵本作家に限らず、作家・クリエイターの方々からすれば、売り方自体も関心事でしょうし、芸人西野氏に対して以前から関心を寄せていた人もいるのでしょうけど、私としては、絵本『えんとつ町のプペル』が関心の中心にあって、見てみたらもう見なくてもいいや、となったという単純な話です。

作家は作品に政治家は政策にフォーカスしたい

最初に紹介した記事は、トランプ氏に関する私の関心があって読み始めたのですが、西野氏の騒動をあまり知らない私でも、なんとなく西野氏とトランプ氏のアジテーターとしての共通性みたいなものは、多少そう言えるのかもなあ、とは思いました。でもそれ以上に何かモヤモヤする。

しばらく立ち止っていると、そのモヤモヤは、この二人がアジテーターで、ある意味無敵状態なんだとして、でもそれがどうしてちょっと悪いことみたいに言われているんだろう、もし悪いことだとしたらじゃあどうしたらいいんだろう、という感覚だと気づきました。

紹介した記事に乗っかって*2、当座トランプ氏と西野氏を併行して論じるとして、トランプ氏は政治家で、西野氏はここでは絵本作家。本来、政治家は政策(その構想・立案や施行、社会にもたらした結果)で、絵本作家は絵本そのもので評価されるべきものだと思うので、トランプ氏の政策が支持できない「悪い」ものなら、西野氏の絵本が評価できない「悪い」ものなら、それなのに勝ち続けていることに不満やら批判が向けられるのはある程度頷けます。

でも、トランプ氏をめぐる記事や評価、あるいは西野氏をめぐる批判などは、その政治手法やら、ビジネス手法やらに対する評価がすごく渦巻いていて、肝心の政策や絵本自体に対する評価があまり聞こえてこない気がします。もちろん、それが存在しないわけではないけれど、どうも焦点が手段の方に強く当てられている気がしてしまうのです。

(この辺までくると、やっぱり両氏に関する騒動を併行して述べることに限界を感じますがもうちょっと頑張ると)トランプ氏は暴言やら嘘とかが注目を集め、色々と政策的な話が出てもその妥当性や実現可能性や社会への影響の話より、目立ってしまっているように思います。西野氏についても、『えんとつ町のプペル』の内容についてはもちろん例えばアマゾンレビューとかでは見られるんでしょうけれど、論争になっている場面では話題になっていないように思えます*3

しかし、私としては、政治家の話をするなら必ず政策の是非を話の真ん中にしていくべきだろうと思うし、絵本作家の話をするならその作品としての絵本自体を話の真ん中に据えたいなあ、と思うわけです。

もちろん、トランプ氏については、その政治手法や嘘や暴言といったものが、政治家としての資質に関わるものとして、注目されることは、西野氏の話とはやっぱり違うとは思うのですけどね。

西野氏については、絵本そのものの価値だけでは測れない何か影響があるように言われている気もするけれど、個人的にはあまり関心が持てず話を拡げられません。私としては、先ほどの「絵本自体を話の真ん中に据える」と「色々言ってるけど肝心の絵本がなあ…。」ということで話題終了というところなのですけどね…(絵本は単純に好き嫌いもあると思うので、この絵本が好きな方にはすみません。)。

プロセスや手法に気を取られ過ぎると本質からずれていく

少し話を拡げていくと、これまた先ほど読んだ内田樹氏が翻訳しておられたブルームバーグのコラム。

なぜトランプ政権のスタッフは嘘をつくのか? (内田樹の研究室)

すごく面白い内容を紹介してくださっているとは思ったものの、読んだ後に残るものが何なのかを立ち止ると、うーんと唸ってしまいます。結局、確実に意味があるのは、

だからと言って、ひとたび私たちがトランプのさまざまな非行を責めることに飽き飽きして、それを止めてしまったら、それこそ彼の思うつぼだということをわきまえておいた方がいい。

という部分であって、それ以外の部分は「分析」と「想像」の間ぐらいで示唆には富んでいるものの、こういうのもまた、トランプ氏の政策内容そのものではなくて、政治手法の方にフォーカスしていて、見えない何かを明らかにしようとして翻弄されているようにも見えてしまいます。

加えて読んだ次の記事。オリバーストーン監督がトランプ大統領への評価を話しています。

「トランプ大統領、悪くない」 オリバー・ストーン監督:朝日新聞デジタル

こちらは政策の問題にも言及していますが、

トランプ氏はまともではないことも言います。かつてないくらいに雇用を増やすなんて、どうやって成し遂げられるのか私にはわからない。だがものすごい誇張だとしても、そこからよい部分を見いださねばなりません。少なくとも米国には新鮮なスタイルです

とか言って、トランプ大統領への評価に政治スタイルへの評価が背景にあることを感じさせます。肝心の政策について実現不可能なことを言っても評価して良いと結局言っています。もちろん、クリントン氏への不信感の反動としての評価もあるのでしょうが、政策的な中身の話よりも、その政治手法の新しさの方に目を奪われているようにも感じられます(ちょっと穿ちすぎかもしれませんが)。

一方で、こんなのもあります。WSJがトランプ氏の「嘘」について「嘘」という言葉を使うことに慎重になると言い出したという話です。

【オピニオン】トランプ氏と「嘘」と誠実な報道 - WSJ

「うそ」という言葉は、真実性に関する判断に加えて道徳的な判断を含んでいる。うそをついていると誰かを非難することには、人を欺こうとする意図や意思が本人にあるとみなすことだ。つまり、自分の目的を果たすために、そうと分かっていながら相手を惑わすために事実をゆがめたと言っているのと同じなのだ。

上のWSJのオピニオンは有料記事なのでこれに関連するハフィントンポストの記事へもリンクをはっておきます。

「トランプ氏のウソは『ウソ』と呼びません」ウォールストリート・ジャーナル編集長が発言、なぜ?

長年の歴史に支えられているはずの報道姿勢が、トランプ氏の虚言を弄した手法に触れることで、一夜にして揺らいでしまっているように私には見えます。

政治は手続きそのものでもあるので、政策そのものだけでなく、政治手法や個々の発言などももちろん問題になるのはわかります。でも、「やり方」が異例だからといってやり方にばかりフォーカスしているうちに、人々も政治手法やパフォーマンスにばかり気をとられて、肝心の政策に対する関心を強く払わなくなっていくように思えます。

西野氏の話もあまり良く知らないのですが(知らずに書いて申し訳ないとは思うのですが)、絵本の話ではなくて、お金の話とかお金の集め方や稼ぎ方の話に焦点が当たっているのかなあ、と思います。少なくとも、絵本そのものを正面から評価する話ではない(そんなこと誰も話すつもりじゃない、というのが本当なのでしょうけど)。そうしているうちに、絵本そのものの価値は置き去りになっているように思えます。

でも本当は、両氏がアジテーターで無敵だったとしても、それが悪いことなのかどうかは、政策や作品そのものの評価抜きには語れないのではないかなあ、と思った次第です。

もっと簡単に言うと、いつの間にか、ビジネス手法とか政治手法とか、その裏事情とかに関心を持ち、それを評価したり批判したりする、という参加者全員が事情通になっていく感じで、それが一概に悪いこととは言えないものの、そればかりになって肝心の中心がぼやけてしまっているという感じでしょうか。

それよりも、アジテーターの側が、その一番焦点が当たるべき大事な中身で勝負してくるのではなく、そのアジテーター的手法を主な武器として勝負をしてくるとき、冷静に一番大事な中身にフォーカスの真ん中を戻し、淡々と中身を問題にしていく姿勢の方が良いのではないかな、と私などは思うわけです。

トランプ氏には政策で。西野氏には作品で。

※ やっぱり併行して論じるのには無理があった気がします…。

余談: このエントリーを書く前には、トランプ氏の嘘や暴言についてこのタイミングに改めて書こうと思っていたのですけどね。「トランプ氏はただの暴言王ではない」とか「トランプ氏は意外と優秀だ」とか、大統領選挙勝利後にはなぜかトランプ氏を評価しなおそうという言説をたくさん目にするようになったので、大統領になったからといって嘘が嘘でなくなったり、暴言が暴言でなくなったりするわけでもないし、政治上の法則性のない相手に妄想であれこれいったところで意味はないんじゃないか、なんてことを書こうと思っていました。

つまり、想像や願望でものを見ても意味はない、目に見えるもの聞こえるものだけで判断すべき、みたいなことを書こうと思っていました。が、たぶんもう書かない。

良いものは良い

最初の記事で、「アジテーター」とされるような人々のまわりで支持者とアンチがやりあって、結局アジテーターがより肥大化していくという話は、一定真実だと思います。

この無敵状態を「そうなのだよなあ」とモヤモヤして見ているよりも、たぶんするべきことは、話を真ん中にもどして、一番大事な部分にフォーカスを当てて、ダメなものはダメだと批判することが、結局一番大事なことなんじゃないかなあ、と思うのです。

一方で、政治の世界にだって、地味だったり、宣伝が下手だったりするけれど、極めてまともな政策を提案している人もいるだろうし、絵本の世界、もっと拡げてクリエイティブな世界にだって、作家自身は商売下手だったり、地味だったりするけれど、とても良い作品を作る人はいると思うのですよね。

だから、良いものを探して、見つけたら「これは良い」という話をするのが一番いいんじゃないか、なんていうのが今回のモヤモヤに触発されて新たなモヤモヤを発症した私の当座の結論です。

ちょっと薄い話になっちゃいましたね…。

勝手に紹介

良いものと言えば、最近続けて良い文に出逢いました。いずれもはてなブログです。

こんな記事の中で紹介して迷惑にならないか心配ですが、ちょうど「良いものは良い」ということを言いたいところなので、紹介してみます(ブログ主の方々、引用にお気づきになって迷惑でしたらご連絡ください。)。

どちらも、筆者の方々を全く知らなかったのですが、たまたま見つけてすぐに読者になりました。

kasasora.hatenablog.com

dk4130523.hatenablog.com

私もそれなりのオジサンですが、こういうものに出逢うと世界は広いんだなあ、と思います。


This is a post from 45 For Trash

*1:今回はほとんどスケベ心はありません。本当です。

*2:違和感は感じるものの。

*3:西野氏が宣伝として話している内容は別にして

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