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しごうするのか、されるのか。

【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その2 ‐ 単なるライフハック

前回は、効果的利他主義の主張の骨子とその功績に触れるとともに、私が行おうとする効果的利他主義への批判の柱を簡単に述べました。

今回は、批判の柱の1つ目である効果的利他主義の射程範囲に関する問題について書いていこうと思います。

f:id:shigo45:20160331111015j:plain  Photo credit: takebackyourhealthconference viaVisualhunt.com / CC BY

尚、今後の数回は、ピーター・シンガーの『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』の記述を挙げながら*1、それへの批判を逐次書いていくという形式になる予定で、あまり効果的利他主義の体系的理解*2や私の批判をきちんと整理して表せるかは少し不安ですが、その辺は連載最後にまとめて書ければと思っています。


あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ(Kindle版です)

前提

効果的利他主義の射程範囲は必ずしも明らかではありません。シンガーの著作においても、語られているのはほとんど慈善活動に関することです。彼(あるいは彼ら)が効果的利他主義の名の下に主張しているのが、慈善活動における一つの姿勢についてであれば、今回しようとしている批判の一部は的外れになります。

しかし、効果的利他主義の主張の基礎にあるものは、慈善活動という限定した範囲における思考のみではなく、生命の価値や人間の苦しみに対する評価が含まれています。そしてこれらに対する理解や捉え方が、慈善活動という枠内と外で異なるはずはありません。また、シンガーの主張の端々には、我々の生き方全般への問いかけも含まれています。

そういった意味では、効果的利他主義の主張が、例えば「哲学」と呼べるほどに人間の生き方全般を問う資格を持っているのかどうかについて、一応問題にする必要があると考えました。

ただ、効果的利他主義に対する私の批判全体からすれば、この点はあまり大きな部分ではなく、次回以降が主要な批判となることを最初に言っておきたいと思います。

一貫性の欠如

効果的利他主義は、我々にある生き方を勧め、その倫理的正しさを主張しています。しかしながら、効果的利他主義は同時に自分たちの倫理的態度に多くの「お目こぼし」を認めています。人の生き方に関して倫理的な正しさや哲学的な「主義」として振る舞うわりには、多くの一貫しない態度を自ら表明しているのです。

以下にそのような記述を挙げます。単なる揚げ足取りにならないよう、内容的に重複するものも少ししつこく取り上げたいと思います。

効果的な利他主義者の大半は聖人などではなく、私やみなさんと同じ普通の人間ですから、完璧に倫理に基づいた生活を送っていると誇れる人はほとんどいません。たいていは、最低限の倫理的な生活と、完全な倫理的生活のあいだのどこかにいるのです。だからといって、倫理的に完璧でないことをいつも後ろめたく感じているわけでもありません。効果的な利他主義者は、罪の意識を感じることにあまり意味を感じません。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] はじめに、location98

この記述は、このポリシーに従う人間に特別な一貫性を求めてはいないことを端的に表しています。つまり、単なる「心がけ」を呼びかけているに過ぎず、哲学的な意味での「主義」ではないとも言えます。言うなれば単なる処世訓のひとつとも言えます。

もちろん、これはムーブメントを広めるための運動論的な表現かも知れません。しかし、他のあらゆる場面でも、効果的利他主義者は倫理的一貫性を求められる存在ではないようです。

自分たちの生活態度は問われない

効果的な利他主義者もまた、自分のしたいことをするために時間もお金も割いています。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第1章 効果的利他主義とは、location229

効果的利他主義者は自分のしたいことに時間やお金を使うことについては、何ら倫理的には問われないようです。しかし、彼らが効果的利他主義を適用する慈善活動における態度からすれば、例えば彼らが食べるステーキやワインの代金によって何人の人間が救われるかに関心がないわけではないでしょう。

私はもちろんそれらを食べるなとは言う立場ではありませんが、誰もが完全無欠ではないことを理由に、この大きな葛藤の生じそうな問題をやすやすと乗り越えてしまうことに強い違和感を感じます。なぜなら、この問題が「利他主義」とは何なのかを強く規定づけるような大きな問題であるはずだからです。自分がある局面で「倫理的」と主張する態度と、他の局面での態度が異なるとき、それを矛盾なく説明できる論理が倫理的には必要なはずですが、シンガーの著作からはそれは見つけられませんでした。

彼らが大した理由もなく、いつもいつも利他的である必要までは無い、とするのは、結局のところ、「主義」という名を借りて哲学的な問題を扱っているように振る舞いながらも、実際には任意に範囲を限定した中でのみ通用する一つの姿勢を主張しているに過ぎないからではないかと思います。

さらに、シンガーは自らが教鞭をとるプリンストン大学等に対する寄付を効果的利他主義に基づいて否定して次のように言います。

これらの大学が卓越した教育機関であり続けるために十分な寄付金が同窓生から寄せられている今の時点では、ほかの場所に寄付を行う方が、同じ金額でおそらくより高い効果を実現できるでしょう。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第1章 効果的利他主義とは、location274

自分の所属する大学への寄付を断ってまで、最貧国の人たちに寄付をまわすように訴えているのですから、その態度は立派なものと言えるでしょう。

ただ、既に同窓生から相当額の寄付が大学に集まっている事実に対しては無頓着なように思います。研究者たちがこれらの寄付や基金によって支えられていることは既にある事実ですが、これらの資金が遠い最貧国の子供の命を救うために使われるとすれば、倫理的には高い価値を持つはずです。シンガーの主張によれば。

なぜなら、もしもこれらの資金が全て最貧国に向かうとすれば多くの人命を救えるからであり、一方でこれらの資金がなくてもシンガーたち研究者が死ぬわけではないからです。研究が予算的に窮するとしても人命にはかえられません。シンガーの主張からすれば、今現在寄せられている寄付や運営されている基金によって研究者たちが研究していること自体、倫理的に間違っていることになりかねません。もちろん、私はそのような立場ではありませんが。

にもかかわらず、シンガーは大学の基金や現実に寄せられる寄付に対して否定をしたり、それによって研究が支えられることを(自己)批判することはないようです。

他者に対してのみ向けられる厳しさ

さらに、シンガーは、効果的利他主義者以外に対しては、厳しい倫理的一貫性を求めています。例えば、キリスト教の伝統的価値観を表現する次の言葉(4世紀のカトリック教司祭であるアンブロジウスによるもの)について、カトリック教会の一貫性のなさを責めています。

貧しい人になにかを与える行為は、「恵まれない人たちに分け与えているのではありません。その人のものをお返ししているのです。すべての人のために与えられたものを、あなたが傲慢にも自分のものにしていただけなのです」

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第3章 質素に暮らす、location 450


ですがそれも、カトリック教会がこの言葉を絶対に守るべき倫理規範として全面的に支えなければ、口だけで終わってしまいます。教皇も大司教も神父さまも、(中略)富めるカトリック信者が貧しい人に分け与えなくても、口ではそれが貧しい人のものだと言いながら、富める人をわざわざ責めることはありません。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第3章 質素に暮らす、location 473

カトリック教会に対しては「絶対に」守るべき倫理規範とすべきだと主張しています。しかし一方で効果的利他主義者の仲間内では、ここまで見てきたように(あるいはこの後も見るように)出来ることをすれば良いという緩い倫理目標を掲げています。この一貫性を欠く態度は、一つの哲学的態度としては厳しく批判されるべきだと思います。

貧困にあえぐ人たちが明日飢えるかも知れない食料事情の中にいるとき、効果的利他主義者が高価な食事をすることは否定されません。もちろん私も否定はしませんが、効果的利他主義の論理的帰結からすればそれは否定されるべきものではないでしょうか。そしてまた、もし、効果的利他主義自体がこの緩さをそもそも含んでいると主張するなら、それはもはや倫理的態度とは言えません。

一貫性がないことは問題ない

この倫理的一貫性を欠く態度は、シンガーによって積極的に許され、効果的利他主義者として紹介される人々からも語られます。

陽気に人助けをしようとするジュリア・ワイズは、自分が買うアイスクリームとワクチンを比べて悩んだ挙句、

アイスクリームは私の幸せのためにすごく大切だから

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第3章 質素に暮らす、location 531

という考えに至り、アイスクリームを買うことに悩むことはなくなります。そしてこう言います。

落ち込んだりみじめになったりするような犠牲は必要ないわ。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第3章 質素に暮らす、location 517

また、人間や動物の苦しみを減らすためのチャリティに年収の95%も寄付しているイアン・ロスが自分の趣味や友人のペットの高額治療費を払うことについて、シンガーは次のように書いています。

言い訳できないある種の「贅沢費」だと認めています。 ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第4章 お金を稼いで世界を変える、location 762

ここに挙げられた人たちは、恐らく素晴らしい人でしょうし、なかなか真似できないほどのチャリティ精神を持っている人たちです。ですから、この人たちを賞賛しこそすれ、批判するつもりにはなりません。また、これらの言葉そのものを否定するつもりもありませんし、この人たちの言葉には一定の真実があるとも感じています。*3

しかし、彼らの言葉を紹介するシンガーの姿勢は、効果的利他主義者には倫理的一貫性は不要だと言っているように見えます。

それはいわば「できることをしよう」と言っているに過ぎません。「言い訳できない」と言いさえすれば済む話であり、自分の幸せに必要だと言ってしまえば済みます。それは程度の問題かも知れませんが、しかし、アイスクリームが幸せに必要な人もいれば、プライベートジェットが幸せに必要な人もいるでしょう。

論理的な厳密さの欠如

上の一貫性の欠如と結局は同じことなのですが、微妙に異なる部分があるので無理矢理見出しを付けて分けました。

重要な問いへの厳密さの欠如

例えば、ニューヨークタイムズのコラムニスト、デイビッド・ブルックスが、世界を厳密に知的なレベルで見れば遠い他国の子供も自分の子供も同じくらい大切なはずだが、誰もそんな風には考えない、と疑問を呈したのに対し、シンガーは次のように述べます。

効果的な利他主義者を批判する人たちは、ブルックスと同じように、「厳密に知的なレベルで」パキスタンやザンビアの子供の命が自分の子供の命と同じだけ大切だと認めて行動することが、なんだか奇妙で不自然なことのように語ります。ですが、「はじめに」にも書いたように、自分の子供を愛しているからといって、ほかの子供の命に同じ価値があることを理解できない理由にはなりませんし、こうした視点が自分の生き方に影響を与えないことにもなりません。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第8章 理性の力、location 1420

ブルックスの疑問に対してのこの言葉は、何一つ答えを提供してくれません。ブルックスの問い(私の問いでもありますが)は、他の子供の命が自分の子供の命と等価であることを理性的に認めることが出来ないというものではありません。それは誰一人否定していないのです。問題は、それを認めた上でも、我々が自分の子供を他者の子供よりも優先させる行動をしてしまうことの倫理的な意味なのです。

この倫理的な葛藤、理性と感情に引き裂かれそうなこの場面で、シンガーは悩みを見せることはありません。シンガーはただ言うだけです。「それは悪いことではない」「効果的利他主義とは矛盾しない」と。しかし、その根拠はどこにも示されていません。見つけられる表現は、そうするのは仕方ないこと、程度の問題である、というものだけです。

基準を欠く曖昧な主張

このような論理性の欠如、厳密さを問わない態度には、強い不信を感じます。実は他の場面でもこの厳密さの放棄は多々見られます。

例えば、効果的利他主義からすれば、美術館の増設費用を寄付するよりも、貧しい人たちに失明治療に費用をまわすべきだとしつつ、一方で、美術館自身が増設や改修のための費用を失明治療に拠出すべきだったとまで言うつもりはない、として次のように言います。

美術館は本来の設立目的が違いますし、彼らがグローバルな貧困対策に資金を使えば設立趣旨や法令義務に背くことになり、寄付の目的に反するとして過去の寄付者から訴訟を起こされかねません。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第11章 いちばん大きなインパクトを与える、location 1938

しかし、倫理性が問われているのに法を理由として倫理を問わないのはナンセンスです。それは法に倫理的裏付けを不要とする態度ですし、現実の法が倫理に反することもありうるからです。しかし問題は、寄付をする行為についてだけ効果的利他主義を適用し、それ以外の場面(ここでは美術館建設)では効果的利他主義を排除している点にあります。これは、シンガーが芸術の価値を否定することに躊躇を感じるからなのでしょうか。

これに関しては次の記述が参考になります。

すべての人に十分な食べ物と基本的な医療と衛生的な環境と子供たちを通わせる学校がある世界なら、望む人すべてが本物を見られるような美術館や、自己表現の機会を持てない人に芸術を生み出すチャンスを与えるような施設に寄付しても(個人的にはこちらの方が大切だと思います)、問題はないでしょう。ですが、悲しいことに私たちの住む世界はそうではありません。少なくとも今は違います。

ピーター・シンガー 著/関 美和 訳(2015)『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと ~〈効果的な利他主義〉のすすめ』[Kindle版] 第11章 いちばん大きなインパクトを与える、location 1976

想像した通り、シンガーは芸術の価値を認めてはいるものの、それよりも重要な課題があることを強調しています。しかし、倫理的厳密さから言えば、これでは全く足りないはずです。

シンガーの倫理的立場からすれば、私たちの世界が今このような状況である以上、芸術活動に割かれるリソースの全てを否定しても良いはず、いやそうすべきです。しかし、彼はそこまでの主張はしません。注意深く芸術の価値に触れ、芸術活動自体も否定はしません。

私はそうは思いませんが、シンガーの倫理的立場からすれば、貧困がある限り芸術などにうつつをぬかしている暇はないはずです。しかし彼は決してそうは主張しません。実はこれは芸術に限らず、慈善活動に寄付をするという行為を除くすべての場面でとられる曖昧な主張です。先に挙げた大学への寄付の問題もそうです。既に配分されているリソースのあり方に対しては、特別な疑義をはさまないのです。しかし、それは論理的には誠実な態度とは言えません。

挙げればキリがないのですが、このようにシンガーの効果的利他主義には論理的な厳密さはありません。

単なるライフハックに過ぎないという疑念

上に見てきたような一貫性の欠如、論理的厳密さのなさは、シンガーの主張のあらゆる場面で見られるものですが、特に、慈善活動以外における人間のあり方を問う場面で多く見られます。そういった人間の生き方全般に対し、シンガー自身が関心がないわけではないようですし、触れていないわけでもないのですが、そこには哲学的な深い悩みや葛藤が見られなかったり、問題から目をそむけているように見えます。

例えば、そもそも慈善活動に充てられる資金の成り立ち、つまりそれに回すことのできる富がどうやって蓄積されるかについては、現時点で資本主義以上のシステムは考えられないという一言で済まされ、深い考察はされていません。また、自分や自分の家族を特別扱いする点、自国の貧困層にリソースをまわすより遠い他国の最貧困層に寄付をまわすべきだという人命の価値や苦しみの比較についても、深い考察だとは思えません。

もちろん、きちんと考察しているという反論は当然ありうるので、これらそれぞれの内容については次回以降に述べることにします。ただ、それにしてもこのような偏りがあるのには理由があるように思います。

それはそもそも効果的利他主義が、慈善活動への資金拠出にあたっての倫理的指針に過ぎないことから来ているのではないかと思っています。一般にも、シンガーの著作を読んでみても、効果的利他主義は主に慈善活動について語っています。そしてそれは、リソースを効率よく配分して目的である人道支援の効果を最大限得られるよう、最適解を探そうという試みです。それは、達成すべき目標を明確に設定し、そこに至るプロセスを冷徹に考え実行するという、ある意味「経営」の考え方です。

この考え方が、IT事業等の成功により若くして巨額の富を得た若き大富豪たちからの、慈善活動に対する寄付活動における倫理的指針へのニーズとマッチしたことによって、急激に拡大していったことは確かだと思います。

しかし、この単に「慈善活動における効果的リソース配分の考え方」とでも言うべきものを「効果的利他主義」という言葉に昇格させ、一定の倫理的矛盾・葛藤の局面において、倫理的結論を断じるものにしたことによって、一貫性の欠如や論理的厳密さの不足を招いているのではないかと推測します。

実際には、いかに気持ちよく慈善活動をするか、いかに倫理的正しさを感じるやり方で寄付をするのか、という限定した範囲でのみ通用する知恵、一種のライフハックに過ぎないのに、不当に問題を拡大し「哲学」「主義」として、我々に高い倫理性を説くことに大きな問題があるのではないかと思うのです。

しかし、これは正しい批判とは言えません。効果的利他主義が、慈善活動におけるリソース配分について採っている基準、あるいは慈善活動以外の人間の生活において取っている態度等について、きちんと批判を加えてこそ、このような批判を行いうると思います。ですので、「単なるライフハックだろ」「ライフハックとしてもおかしいだろ」という私の主張は、これらの批判を行った後判断すべきことになります。

次回以降は、効果的利他主義の主張の本体に切り込んで批判をしていきたいと思います。その中では、「よいこと」をしようとしている効果的利他主義者を、私がなぜ批判するのか、私が誰を助けるべきと考えているのかについても自ずと明らかになっていくと思います。

【追記:2016.3.31 21:00】

文中で、「哲学」「主義」と呼ぶに値しないというような趣旨の記述をしていますが、何を「哲学」「主義」と呼べるのかについて詳述していません。私自身の考えはありますが、それ自体は水掛け論になってしまう可能性が高いです。ここでは、そのような意味ではなく「一定の根拠をもって世界のあり方を説明しそれに対する人の生き方を提示するもの」程度の意味で使っています。

もっとラフに言えば、「その主張がその言葉通りの意味において耳を傾け真剣に検討する価値があるものかどうか」という程度の意味ととって頂いても良いかと思います。私自身、それが知りたくてシンガーの主張を読んでいます。


連載内の記事は以下にあります。

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トランプ政権との関係はこちら。

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*1:効果的利他主義者はもちろんシンガーだけではなく、その主張にも様々なバリエーションがあると考えられます。そのため、厳密に言えば「シンガーの唱える効果的利他主義」への批判という限定をつける必要はあるでしょう。ただ、シンガーが効果的利他主義の哲学的支柱を提供していることも事実です。

*2:ピーター・シンガーの唱える効果的利他主義が厳密な体系を持っているという理解に至らなかったのも正直なところではあります。

*3:効果的利他主義とシンガーによって分類されている人々が、自覚的に「効果的利他主義者」を名乗っているかどうかは不明です。シンガーがそう呼んでいるだけかも知れません。また、彼らは哲学者ではないので、その言葉のひとつひとつを批判すべきだとも考えてはいません。

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