昨日(2016.3.1)最高裁判決が出されたJR東海認知症列車事故訴訟。本件家族の損害賠償責任を否定したこの判決に対する多くの反応は「ほっとした」というものだったと思う。ただし、これによって重度認知症患者を抱える家族の責任・負担が本当に軽減されたと見るべきかは良く見てみなければならない。
そこで、判決文を見ながら、この最高裁判決が本件に関してどのような論理で家族の損害賠償責任を否定したのかを見ていきたい。
Photo credit: Fabio Sola Penna via Visual hunt / CC BY ※写真と記事は関係ありません。
主要論点
この裁判では、事故で死亡した重度認知症患者の同居の配偶者、および遠方に住みながら患者の介護に協力していた長男が、民法714条における責任無能力者の監督義務者(あるいはそれに準ずべき者)として責任を負うかどうかが争点となった。
民法
第七百十四条
前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2 監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も、前項の責任を負う。
最高裁の論理
同居配偶者だからといって監督義務者とは言えない
最高裁判決では、精神障害者と同居する配偶者であるからといって、監督義務者に該当するとは言えないとしている。
精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。
尚、判決では、
- 成年後見人の身上配慮義務は、事実行為として介護を行うことや監督をすることまで求めてるとは言えず、民法714条の監督義務者と認める根拠とはならないこと。
- 民法752条の夫婦の同居・協力・扶助の義務については、夫婦相互が相手方に対して負う義務であり、第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎づけるものではなく、民法714条の監督義務者と認める根拠とはならないこと。
が述べられている。
特段の事情があれば監督義務者に準ずべき者となる場合がある
上記のように最高裁判決では、同居の妻が直ちに714条の監督義務者と言えるものではないとしているが、「特段の事情」が認められる場合には、法定の監督義務者に準ずべき者として、714条1項が類推適用され714条の損害賠償責任が問われうるとしている。
もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用されると解すべきである。
判決においては、「衡平の見地から」と述べられており、責任無能力者が生じさせた損害の公平な分担を図るために、監督義務者に準じる者を認定する必要があると考えていることがわかる。
監督義務者に準じる者に当たる「特段の事情」とは
では、法定の監督義務者でない者が、法定の監督義務者に準じる者として損害賠償責任を負うべき「特段の事情」とは何か。
これについて最高裁判決は、
- その者自身の生活状況や心身の状況
- 精神障害者との親族関係の有無・濃淡
- 同居の有無その他の日常的な接触の程度
- 精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情
- 精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容
- これらに対応して行われている監護や介護の実態
など諸般の事情を総合考慮して、監督しているまたは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地から責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきとしている。
ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。
上述の通り、「特段の事情」が認められるかどうかについて検討されるべき客観的状況は多岐にわたっており、またここでも「衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否か」と述べられている通り、その判断もまた、損害の公平な分担を図る見地から行われることを明示している。
本件家族への具体的な当てはめ
要介護の妻に「特段の事情」はない
上記を前提に、本件における同居の妻に監督義務者に準じる者と認められるべき「特段の事情」があったかどうかについて、最高裁判決は、要介護1で長男の妻の補助を受けないと介護をすることが出来なかった妻は、現実的には監督することが可能な状況にはなかった、として「特段の事情」は認められない、とした。
本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており,Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると,第1審被告Y1は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず,その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。したがって,第1審被告Y1は,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない
ここでは、同居の妻自身が介護を受けなければならない状況であり、単独で夫の監督を行うことは現実的に不可能であったということが重視されている。
同居していない長男に「特段の事情」はない
最高裁判決は、遠方に居住・勤務し、月3回程度に尋ねていたに過ぎない長男は、監督可能な状況にはなかったとして「特段の事情」を認めなかった。
第1審被告Y2は,Aの長男であり,Aの介護に関する話合いに加わり,妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながら第1審被告Y1によるAの介護を補助していたものの,第1審被告Y2自身は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので,本件事故まで20年以上もAと同居しておらず,本件事故直前の時期においても1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると,第1審被告Y2は,Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず,その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。したがって,第1審被告Y2も,精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない。
ここでは、同居しておらず、訪問も月3回程度であるという点で、監督可能な状況ではないという判断がされている。長男の妻(訴外)が近隣に住んで通いながら介護の補助をしていたことは、当然ながら特に考慮されていない。
結論
上記のことから、最高裁は、本件の被告とされた妻・長男は714条の法定の監督義務者に準じる者と言うことはできないとして、714条による損害賠償責任を否定した。
疑問は残る
最高裁判決の論理の流れ
このように見ていくと、最高裁判決は、
- 家族だからといって直ちに714条の監督義務者とは言えない。
- ただし、「特段の事情」があれば監督義務者に準じる者として責任を負う場合はある。
- 「特段の事情」は諸般の事情を総合考慮して、衡平の見地から責任を問うのが相当といえる客観的状況があるかどうかで判断する。
- 本件の妻・長男の事情に照らせば「特段の事情」はなく、監督義務者に準じるものとは言えない。
- よって民法714条の責任を負わない。
という流れになっている。
重度認知症患者が第三者に損害を与えた場合の家族が、ただちに714条の監督義務者や監督義務者に準じる者となるわけではない、という判断は納得のいくものだと思う。
また、714条の監督義務者に準じる者と言えるかどうかについても、「衡平の見地」から具体的な諸般の事情を総合考慮する、として事案に即して負担の公平な分担を判断できるようにした点も評価できるのではないかと思う。
不安を感じる点
本件被告とされた、重度認知症患者の妻・長男また長男の妻が、患者に対して行っていた介護は、判決文を読むだけでも非常に献身的なものであったことが伝わってくる。ここまでやった家族に対し、夫や父を失った上に損害賠償責任まで負わせるのかという感覚は、それなりに多くの人々の中にあったのではないかと思うし、だからこそ、この判決を受けて「ほっとした」という感想も多くみられるのだと思う。
ただ、本件については、妻が要介護1に認定されており単独で監督できる状況でなかったこと、長男が同居していなかったこと、これらが「特段の事情」がないとされた理由となっている。
論理的には「監督できる状況ではなかった」ということが決め手になっているのであり、「頑張って介護し見守っていた」ということで免責されているわけではないのである。
とすれば、同じような介護の努力を重ねていたとしても、彼らが、元気な妻や同居の長男であったとすれば、「論理的には」どのような結論になっていたかはわからない。
個人的な感想としては、家族を「監督義務者に準じる者」ではない、という理由で責任を否定するよりも、「監督義務者に準じる者ではあるが、十分責任を果たしていたから免責する」(民法714条1項但書)という理由で責任を否定した方が良かったのではないかと感じる。
なぜなら、この最高裁判決の論理では、重度認知症患者の家族が深く患者と関われば関わるほど、「監督義務者に準じる者」だと認定される可能性が高まってしまうようにも思えるからである。並大抵ではない介護の負担を負えば負うほど責任を課される可能性があり、介護負担を回避しているものには責任が課されないとなれば、それはいかにも逆転した結論のようにも思える。最高裁がこのような考えに立っているとは思わないし、免責されるかどうかの判断まで踏み込まずに責任を否定することも悪いことではないと思うが、結局この判決では、一番重要な部分への判断はされていないということも言える。
そう考えると、一審・二審の考え方に比べれば格段にましだとは言え、最高裁判決が認知症患者を介護する家族の責任を大きく軽減する判断をしたとまでは言えないと思う。最高裁のスタンスは、ここ具体的な事案・当事者の状況に即して、「衡平な見地」から総合的に判断する、負担を公平に分担するように判断する、と言っているだけであり、この判決自体からはその公平の中身までは伺い知れないという不安があると言える。
本件は、JR東海という大企業と個人との関係であり、だからこそ「衡平の見地」によって「特段の事情」が認められなかったのではないかという推測もありうる。しかしそれは判決文の論理には登場していない。
例えば個人対個人の関係である場合、被害者に全ての負担を負わせることが正しいとも言えず、それこそ「衡平の見地」による判断が必要になってくるのだと思うが、これについては、別の観点から、危険の伴う事業活動を行う企業の義務という考え方が必要ではないか、というのが私見である。これについては昨日エントリーを上げている。